れども、それは、いはゆる凡人の常として、如何ともしがたいことであります。そこが、「強情我慢」の物をいふところです。特に武士の家に生れたからには、「弱音を吐く」こと、「悲鳴をあげる」こと、「取り乱す」こと、これが「不覚」のなかの「不覚」であつて、「嗜み」の上から、なんとかしてその前で踏み止る命がけの努力が必要とされました。
「武士は食はねど高楊枝」と云ひ、「侍の子は腹がへつても饑じうない」と云つたのはそこでありまして、この、見やうによつては瘠我慢とも称し得る強情一徹は、それだけとしてはなんの役にも立たぬやうに見えますが、実は、これが武士の死生観にもとづく、人間超克の苦行を象徴するものであります。
そこからはまた、喜怒哀楽を顔に現さぬといふ禁欲の精神が生れて来るのでありますが、これも極端な解釈は個人的な好みに委せるとして、普通は、度を越えた感情の表白は慎むべしといふ、「嗜み」のひとつとして心得べき自戒なのであります。
いづれにしても、この種の自己抑圧とでも云ふべき訓練は、単に武家に限らず、われわれの祖先が、あらゆる階級、あらゆる職業を通じ、或は芸道の修業に於て、或は日常生活の規律として
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