す。
 そこで、この「不覚」といふ言葉が、元来、精神のたしかでないこと、「思はず知らず」なにかをしてしまふこと、を意味しながら、そのことに対して、自ら責任を負ひ、罪を被るといふところに、峻烈苛酷な日本的道義の精神があるのでありまして、「うつかり」してゐたとか、気がつかなかつたとかいふ口実によつて、当然罪が軽くなるやうに思ふ風習は、頗る「嗜み」のない話で、「不覚」の一言は、常に冷汗三斗の思ひとともに述べらるべきものであります。
「用意周到」は、さういふわけで、「不覚をとらぬ」ための大切な心掛けですが、それと同時に、もうひとつ、不覚をとらぬ「嗜み」としてこれも是非、今日のわれわれが考へなければならないことは、よい意味の「強情我慢」といふことであります。

[#7字下げ]一三[#「一三」は中見出し]

 いかに用意周到であつても、人は何時《いつ》なんどき「不意をくふ」ことがないと保証できません。更にまた、思ひもよらぬ困難、想像以上の苦痛に見舞はれ、或は、激しい衝撃によつて恐怖に襲はれるといふやうな場合、これに抵抗する力は、誰にでもおのづから具はつてゐるとは云へますまい。さうありたいものですけ
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