途な」といふことは、時によるとまことに美しく、屡々人を駆つて大きな働きをさせることもありますが、それはたまたま正しい道に向つてのことであつて、「理窟ぬき」が、飽くまでも「理を超えた真理」を主観的につかんだ時にのみ行為の価値を生むのと同様であります。そして、正しさを胸で感じ、真理を鼻で嗅ぎとるといふやうな「離れ業」を易々となし得る日本人の能力は、やはり、練りに練り、磨きに磨いた祖先の遺風、「嗜み」を身につけて始めて十分に発揮されるのであります。
 臆病なものには我武者羅になれと云ひ、神経質なものには図太くやれと、激励叱咤するのは、あながちわるいとは云ひません。しかし、それを文字どほりに振りまはして、純乎たる中正の道を閉すことは、われわれ日本人の敢てとらざるところであります。
 戦ふ国民としての覚悟と気魄とは、決して肩を怒らしたやうな強がりや、自制を失つた大言壮語によつて示されるものではありません。
「ゆかしく、凜々しく」とは、私が、つとに日本精神の表情として、自ら訓へとし、試みに人にも示した言葉であります。
 日本人の「嗜み」が若し、日本人らしき心の様々なすがただとすれば、それは、男女の
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