くてもいゝのに改まりすぎたり、小人数の会合で大声を張りあげたり、人の喋る時間がなくなるほど長談議をしたり、罪もない参会者の一人を序でに槍玉にあげたり、可笑しくもない洒落をひとりで悦に入つたりといふ図は、いかにもその人の「嗜み」のほどが察せられるのであります。
 議論といふとすぐ喧嘩腰になるのも、議論の目的を履き違へた「不嗜み」であります。論争とか討論とか云へば、相手の主張を理論的にも破砕し、飽くまで彼我の立場を正邪によつて分つべきでありませうが、普通、相談事や、衆智を集める意味での協議会、座談会などで、多少考へが違ふからと云つて、いきなり喰つてかゝるやうな剣幕で相手の説を論難攻撃し、またそれとは逆に、人が少し強く反対でもすると、やにはに血相を変へ、憂鬱になり、あとは拗ねて口も利かぬといふ独りよがりの態度は、まつたく、議論といふものを「勝負」とのみ考へ、長短相補ふ合議の精神を無視した、許すべからざる狭量さであり、少くとも日本的な「嗜み」に反するものであります。
 近頃、「日本的」といふ意味が、どうかするとたゞ「一途な」、「理窟ぬきの」言動を指すやうに誤解されてゐないでもありません。
「一
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