威あつて猛からぬ風貌挙止とともに、日本人の「嗜み」として最も尊重せらるべきものであります。
 時と場所柄とを弁へぬといふ点では、堂々と自己の所信を述べるべき場合であるにも拘らず、徒らに遠慮また躊躇して、その機会を逸してしまふやうな例が少くありません。特に、それが勇気を欠くためとあつては、まことに「嗜み」のない話であります。かういふ際、よく、喋るのが嫌ひだからとか、下手だからとかいふ遁辞を用ひるのですが、これもよく考へてみると、喋るのは必ずしも、好きだから、上手だから喋るのではない――さういふ人もあるにはありますが――人間に言葉が与へられてゐる以上、人に向つて言ふべきことをはつきり言ひ得るといふのは、われわれの当然の「嗜み」であらうと思ひます。
 ところで、かういふ私の配慮が、一般にはまつたく無用と思はれるほど、如何なる時、如何なる場所でも、必ず、一席弁じないではゐられない人々が近頃はなかなか多いのであります。みんなが演説に慣れて来た時代とでも云ひませうか、しかし、それにしても、「時と場所柄とを弁へた」演説、議論といふものは、なかなか少いものだといふことを私は痛感してゐます。さう改まらな
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