す。
 それゆゑ、豪放と云ひ、磊落と云ひ、洒脱と云ひ、その性格のおのづからな発露である限り、それは一種の魅力でこそあれ、その性格のために「嗜み」がないと云はれる理由は毛頭ないので、たゞ、その性格が、やゝもすれば誇張を伴ひ、自己陶酔に陥る危険がなくもないので、さういふ場合は、得て俗にいふ「脱線」となつて、羽目を外すことになります。それも亦、時によつては愛嬌ですまされますが、その程度と場所柄によつて、他の顰蹙を買ふのであります。
 これに反して、生真面目な、物事を慎重に考へるといふ風な性質の人物が、往々、座興の席でひとり苦虫を噛みつぶしたやうな顔をしてゐたり、さもなくても、人の戯談にすぐ腹を立てたり、突然固苦しい話題をもちだしたりして、座をなんとなく白けさせることがあります。これも「嗜み」の問題で、心が練れてゐない結果であります。
 しかしながら、こゝで注意すべきことは、いはゆる「八面玲瓏」殊に「八方美人」といふやうなことが必ずしも「嗜み」ではないといふことです。これはむしろ「性格」そのものでありまして、訓練によつて磨かれた「勘」ではなく、この「性格」はどうかすると、「老獪」または「軽薄」
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