技術的訓練とによつて、ひとりでに出来上つた感覚を指すのであります。いちいちその場に当つて頭を使ふといふやうな性質のものではありません。
 でありますから、これはどうしても、長い間の躾けによるほかはないのであります。
 この躾けは誰がするかと云へば、申すまでもなく、家庭では両親、殊に母親、それから少し可笑しいやうですが、夫のある種の躾けは細君がやらなければいけません。現にそれは、いろいろな形でやられてゐるのであります。
 学校では、教師がその役をつとめます。時によると、上級生乃至は同僚の手を煩はさなければなりますまい。
 社会に出ると、社会そのものが目附役でありますが、その時はもう遅い。大小の差はありませうが、それはもう失敗、失策といふレッテルを貼られます。ある組織のなかでは、指導的な立場にある人の、かういふ点までの指導が是非なくてはならぬと思ひます。

 今まで、この「躾け」といふことが、とかく七面倒くさい、窮屈なことばかりを強ひられるやうな印象を与へがちであつて、そこに、人としての魅力、品位がつくものだといふ、おのづからな矜りを伴はせるやうなやり方が忘れられてゐたことは、なんと云つて
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