るのです。「親切」といふ言葉は誰の耳にもはひり易いので、さうしたのに違ひありませんが、どうも「含み」が足りません。親切の押売りは、やゝもすると、日本人の好みに反した「わざとらしさ」に終るからであります。人に親切にする前に、自分の「嗜み」として、自らの矜りのために、当然なすべきことが、そこでは取りあげられてゐるからであります。
例へば、乗物のなかで、若い元気なものが席を立つといふが如き、それは若いものの「嗜み」に過ぎません。決して「親切」などといふ道徳めいた色合で塗りあげなくてもよろしいのです。
商人が無愛想になつたといふ。誠に困つたことでありますが、これも、客の方が卑屈で図々しい以上、無理もないことです。そこで、商人も客も、それぞれ相手のためにどうかうといふ前に、まづ、自分自身に対して恥かしくないかどうかを反省してみるべきです。「矜り」の失はれたところからは、決して、高い道義は生れません。「礼」の精神も亦、本来、自らを持する「嗜み」の深さであります。徒らに相手の歓心を買ふことではありません。
時と場所柄とを弁へるといふことは、社会の一員として生きる自覚と、それがための幼少からの
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