とを弁へないために、相手の感情をそこね、一座の空気を白けさせ、纏る詰も纏らないやうにしてしまふ例を、私は屡々私の周囲に見るのであります。公の場所では、その例が特に目立ちます。最も「嗜み」がなければならぬ指導階級の人々で、「嗜み」を忘れた言動を敢てする結果、これに対する軽侮と反感が一般に生じてゐる例も間々あります。
 およそ、人に対する尊敬と信頼とは、その人の「考へてゐること」に対してではなくて、その人の「すること」と「言ふこと」に対してであります。如何に立派なことを考へてゐても、人前で「嗜み」を欠いた、つまり、人としての矜りを自ら棄て去り、人としての魅力を台なしにするやうな言動を平然として示すならば、それはもう、指導者としての資格を失つたものと云はざるを得ません。
 われわれ一般国民の相互信頼も一致協力も、また、われわれ一人々々の、時と場所柄とを弁へた「嗜み」ある言動によつて、多くはその実が挙げられるといふことを、今こゝで、深く考へなければならないと思ひます。
 近頃、「親切運動」といふやうなことが提唱され実践されてゐますが、私は、これがつまり、「嗜み」の復興を目指した運動だと解してゐ
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