所柄とを弁へる」嗜みについてお話をします。
「時と場所柄とを弁へる」といふことは、日本人が昔から非常に大切にしたことでありまして、家庭教育はこの点に力を注ぎました。
 世間も亦、多少酷なと思はれるほど、これによつて人の値打をきめるといふ風がありました。
 明治以来、封建的な社会秩序が乱れ、時と場所との観念が昔どほりでは通用しないところもできて来て、つい、世間一般もたいがいのことは、大目にみるやうになつた。家庭でも、以前のやうに厳しい躾《しつ》けはできない。両親は、子供のすることを、はらはらしながら、黙つて見てゐるやうになつてしまつたのであります。
 現在の社会は、云つてみれば、さういふ子供たちが大人になつて形づくつてゐる社会であります。
 行儀作法といふやうなことも、この時と場所との観念をはなれては、もちろん、意味がないのであります。意味のない行儀作法を教へるから、それは守られないのが当然であります。
 言葉遣ひにしても、標準になる正しい言葉遣ひといふものは当然なければなりませんが、それは飽くまでも、時と場所柄との観念と結びついて、美しく活かされるべき性質のものであります。習つたとほり
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