事実でもありました。家庭と学校の大部分は、子弟の欲するものを与へ得ず、特に、何を欲せしむべきか知りません。雑誌の氾濫は一にその結果であり、活字は活字の力で、人間の精神と生活を支配しようとしました。
 教養は新しい「たしなみ」でなければならなかつたのです。さう理解はしながら、なほかつ、修行の方法と場所をもたなかつた近代日本の社会は、あらゆる方面で、かくあるべき日本人の姿を見失はせました。典型の喪失、消滅は、男女性を通じて、青年の最大の不幸でありました。

 さて、かういふやうに、「嗜み」といふことは、心と形、肚《はら》と技《わざ》、言ひ換へれば、精神と外貌、或は技術を、常に一体として考へるところに、日本的な人間錬成の真面目が示されてゐると思ひます。
 そればかりでなく、「嗜み」の最も重要な本質は、道徳と知識と情操とが、まつたく不可分の関係で織り込まれ、知情意の最も調和したかたちを、その標準として教へ、心身一如の訓練による生活の技術的体得を目的としてゐたといふことであります。今の言葉で云へば、「文化的教養」そのものであつて、これがまた、頗る日本的な、いはゆる綜合の妙味を発揮した物の見方、考
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