のうちのどれかが欠けてゐたとしても、なほかつ、青年の資格を失ふものではありません。自ら恃むところは何処かになければならぬ。これをはつきりと自覚することが大切です。
ところで、この青年としての矜りは、自分が単に青年であるといふことだけを矜りとするのでは不十分なのであります。その上に、青年として今、自分が何をなしつゝあるか、家のため、社会のため、ひいては国のために、どんな修業を積み、どれほどの役目をつとめ、これから先、如何に大きな使命を果さなければならぬか、といふところまで思ひいたらなければ、ほんたうの青年の矜りは生れて来ません。つまり、為すべきことを為しつゝある秘かな満足と責任の重大さの自覚です。
「前途洋々」といふ言葉は、実に、青年に向つて与へられた祝福の言葉であります。
[#7字下げ]三[#「三」は中見出し]
日本の青年としての矜りは、以上のやうな青年の特質を土台として築かれるのでありますが、世の中は、この青年に大きな希望を寄せ、限りない期待をかけるあまり、青年に対して、いろいろ無理な註文をし、よけいな世話を焼き、うるさく見張りをするといふやうなところもなくはない。時にはまた、青年の気持を理解しないで、その行動を批判し、徒らに青年の自尊心を傷つけ、士気を沈滞せしめるやうな結果を招くこともありがちであります。
しかしながら、それは青年の一部に、たしかに、自ら青年の矜りを失つたやうなものが存在するからだといふことを、はつきり青年の側で認める必要があります。
尤も世間といふものは、必ずしも聡明なものばかりの集りではない。なかには、ものの値打がほんたうにわからない手合がゐるものです。青年を指して、「若造」とか「弱輩」とか、甚だしきは「青二才」とか呼ぶ、あの名称は、たしかに青年を軽く扱つたもので、青年の未熟な、単純な一面を強く指摘して、その発言権を奪はうといふ老獪な保守的思想が生み出したものであります。
とは云へ、一方、青年自身としては、青年の分限といふものを心得、先輩長老を立て、自ら「弱輩」として未だ足らざるところ多きを率直に告白する謙虚さがなくてはなりません。しかも、この謙虚さによつて、はじめて真の矜りが保たれるのだといふことを、深く肝に銘じておくべきです。
日本の青年は、日本の青年としての誇りをもたなくてはならぬ。それなら、その矜りは、如何なるかたち
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