、青年としての矜りは何かと問はれゝば、それは「若々しい力」だと一口に答へるほかはありませんが、もつと詳しく説明してみませう。
 まづ、青年といふものの特質から調べてかゝるのが順序ですけれども、これはあまり専門的な理窟はぬきにして、常識で考へることにします。
 年齢から云ふと、大体、十五六歳から二十四五歳までのところを普通青年と呼ぶやうです。私は三十までとしたいのですが、異論のない人はさう思つてゐてもよろしいでせう。
 男と女とでは、青年期なるものが多少違ひますけれども、さういふことに関りなく、いはゆる少年の時代を過ぎて、精神的にも肉体的にも、性の自覚をはつきりもちはじめ、世の中を見る眼が多少ひらけ、己の前途について希望や疑ひの起る時代にはひつて行く、これが青年になつた徴候であります。
 青年は、例へば、花盛りの時代であります。蕾が綻びて、実を結ぶまで、それは、駘蕩たる春の季節、うらゝかな日光と微風の季節、万物みな歌ひ、天地これに和する季節であります。それはまた、最も盛んなる成長の時期、躍動の時期です。
 そして、もちろん、この青春は、永久には続きません。やがて、花の散る如く、青春は去るのです。
 青春との訣別は、人間の生長の歴史にとつて、二重の意味で重大であります。
 まづもつて、この人生の準備期とも云ふべき時代を、ほんたうに正しく過したか。これから一人前の人間として世の中のため、つまりは国家のために尽す、その能力を十分養ひ得たかどうかといふことが一つ。
 次に、生涯の最も楽しい思ひ出となるべきこの時代を、真に純潔に、伸び伸びと、光明にあふれ、歓喜にひたりつゝ、理想への憧れを抱いて邁進しつゞけたかどうかといふことが一つ。
 この二つのことがらを顧みて、心から満足に思ふものは、そんなに沢山はありますまい。
 しかしながら、そこで如何に悔んでも、もう取返しはつきません。
 青年の前には、多くのものが開かれてゐるのに、ひと度、壮年の時代が来ると、半ば閉されたもののみが眼の前にあります。しかも、それを押し開く「力」が既に弱つてゐるのであります。
 青年にのみ許された世界、青年のみを迎へ入れようとする領域が、いろいろの道によつて諸君に指し示されてゐるのです。
 これを、青年の特権と云ひます。特権といふ言葉は、こゝでは法律的の意味はない。たゞ、青年が社会から好もしい眼で見られて
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