青年の夢と憂欝
――力としての文化 第五話
岸田國士

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 青春は夢多き時代です。
 青年には夢がなければなりません。
 青年の夢は美しく、そして遥かであります。
「夢」とはいつたいなんでせうか。
 こゝではもちろん、睡眠中の夢を指すのではありません。
 頭がはつきりしてゐる時に、その頭の中を去来する幻の如き想念を指すのですが、しかもその想ひは、常に希望となつて輝き、情熱となつて燃えあがるていのものであります。
「夢」は「現実」に対して、「かくありたいもの」の最上のすがたなのですが、それは未来の現実となり得るもの、少くとも、その可能性を含んだものであつて、まさに、現実とつながる生命をもつたものです。
 夢は空漠たるものです。そして、甚だ気紛れであります。或る時は、鮮やかな輪郭をもつて眼前に髣髴たる世界をひろげるかと思ふと、或る時は、模糊たる霧の中に焦点のない波紋を描いて心をときめかせるにすぎないこともあります。
「空想」とか、「夢想」とか云ふと、どうも私の云ひたいことと少し違ふやうな気がします。強ひて区別をつける必要もないやうですけれども、たゞ「夢」と云つた方が、なにか力強い、おほらかなものを感じさせます。

 青年の純真と血気とは、青年の「夢」を飽くまでも、美しく大胆なものにします。夢の翼はいかに拡がつても拡がりすぎるといふことはありません。
 青年の「夢」は、青年の描く「理想」の定かならぬ映像です。「理想」の骨組みだけは一通り組立てられるのですが、さて、それを血脈の通つた肉体として完全に構成する能力がないのです。それはつまり、「現実」を識る程度が極めて浅いのみならず、「現実」がどんな力をもつてゐるかといふことさへ、ほとんどわからないと云つていゝからで、そこにまた、青年の夢らしい夢があるのであります。

「夢」はまた単なる「野心」を指すこともありますが、もともと「野心」とはきはめて現実的な個人の欲望で、若しどこかに夢らしいところがあるとすれば、それは、その欲望を達するための手段においてであります。多くは大それた、身勝手な欲望であるにも拘らず、青年のそれは、「夢」の性質を帯びて屡々純化され、或は「抱負」となり、「志」とさへなります。

「志」といふ言葉はもはや「野心」とか「抱負」といふ言葉とはつきり区別して用ひなければなりません。なぜなら、それは飽くまでも、自分本位の「夢」ではなく、「現実」の条件を基礎としながら、信念による自己の力の限りない発展を予想し、一切の障碍を越えたところに、絶対の目標をおくものだからです。
「志」はまたかの「志望」などといふ言葉の概念ともおよそかけ離れたもので、ずつと厳粛で悲壮な響きをもち、早く云へば、天下国家のため身命を賭して奮ひ立つ至誠と情熱であります。「志を抱く」とは、今日まで普通に理解されてゐたやうに、単にある目的を目指して勉強するぐらゐのことではなくて、国を思ふ止むに止まれぬ気持から、自分の信念に従つて、困難とも思はれる道へ踏み出す決意を固めることであります。
 従つて、幕末のやうな時代に於ては、「尊皇攘夷」こそが、日本人の日本人たる「志」であり、そのために身を挺した人々を「志士」と呼ぶのです。
 然しながら、今日に於ては、また別の形で「尊皇攘夷」といふ精神が高く掲げられなければならないのではありますけれども、それは維新当時の如く、国内に倒さなければならぬ幕府のやうな存在はなく、全国民の向ふべき道は炳乎として定まつてゐるのであります。それゆゑに、今日の青年は、おのおのが選ぶ本来の職域に於て、その「志」が遂げ得られることを無上の幸福と考へなければなりません。

 そこで問題となるのは、「男子志を立てゝ郷関を出づ、学若し成るなくんば死すとも還らず」といふ有名な詩についてであります。
 こゝで云ふ「志」は、前に述べたやうな日本風の解釈に従ふことはできますまいが、ともかく前途に洋々たる望みを抱いて故郷を離れる青年の意気を示したものであります。そこで学業が若し中途で進まないやうなことがあれば、自分の「志」は全く達せられず、故郷に帰つて人々に合はす顔がないといふ、悲壮は悲壮に違ひありますまいが、しかし、どことなく独りで力んでゐるやうなところのある詩であります。今は誰でもさう思ふでせう。
 ところが、嘗ての時代は、かういふ詩が実にぴつたりと胸に来る時代だつたのです。そして、さういふ時代の気風が、まだまだ実際には、根深く地方などに残つてゐはしますまいか。つまり、卒業免状乃至は何々といふ肩書を見せに国へ帰ることが「学成り志を達した」ことだといふやうな気風です。
 そして、これは「故郷へ錦を飾る」といふ風な、いはゞ感傷的な立身出世主義に通じるもので、従来、多くの青少年は、これがために奮ひ立ちもした代り、また同時に、これがために屡々身を誤つたのであります。
「立身出世」の夢ほど、青年の真の「志」から遠いものはないと私は信じます。栄達を望むのは人情だとすれば、栄達にも増した美しい夢を、より人間的な夢を、なぜ青年に与へようとしなかつたのでせう。
 昔の少年たちは、大臣大将を夢みたものですが、それは無邪気な英雄主義でありました。しかし、明治この方、前の詩に現れてゐるやうな気風が盛んで、田舎にゐては志が遂げられないと思ふものが多かつたのです。これはひとつには、地方の雰囲気が雄心勃々たる青年の「夢」を育てるだけの魅力を欠いてゐたことにもよりますが、ひとつには、専門の学校を出なければ一人前の人物になれないといふやうな誤つた考へがはびこつてゐたからです。
 固より、特別な仕事に興味をもち、それだけの天分を恵まれてゐるものは、事情の許す限り、それぞれの道に進むこと、大いに結構でありますが、一方、家業を継いで父祖の歩んだ道を歩むといふことも、これまた、非常に立派なことで、日本青年の「志」とするに足ることであります。
 たゞ、それには「夢」があるかないかといふことです。
 極く月並な考へ方をすれば、どんな家業でも、たまたまそれによつて、相当の産を成し、土地の声望を得るといふやうなことだけで満足するでせう。一家の繁栄はすべての職業の目的であるかのやうに思はれてゐました。青年の夢は決してそんなものであつてはなりません。こゝで具体的に、一人々々の青年の「かうあつてほしい夢」について私が語ることはできませんが、少くとも、今日、「職域奉公」といふことが云はれるのをみてもわかるとほり、すべての職業は、その職業自体が国家の目指すところを目指してこそ、青年の「志す」道として選ぶに足るものであり、それはどんなにさゝやかな仕事のやうにみえても、その仕事をほんたうに活かせば、常に大きな「夢」につながるものであります。
 なぜなら、仕事の価値はその「量」だけで計るのではなく、むしろ、その「質」であり、「質」だとすれば、それは、もう「人」の問題で、その人の全人格が仕事を通じて一個の社会的価値を生むからです。そして、仕事を含んだその人の存在が、そのまゝ世の中の光明であり、国の力であるといふ結果になるのです。
 私は一人の立派な青年を識つてゐます。この青年はある山村で郵便配達をしてゐました。最初に私の注意を惹いたのは、その青年の態度でありました。郵便物を家人に渡してゐるその様子に、どことなく非常に良心的なところが見え、言葉つきもはつきりしてゐるうへに、動作が至つて敏活なのであります。機会があつて、私はその青年と親しく口を利いたところ、果して、彼は青年団の幹部にも推され、村の青少年を指導してゐるやうな人物でありました。そして特に私を感動させたのは、彼の抱いてゐる「夢」が実に見事なものであり、その「夢」の実現に向つて日夜奮闘努力してゐることが、素朴で謙遜な表現によつて十分察せられたことです。
 仕事の上では、彼は先づ、郵便を一戸々々に配つて歩くといふことの、温い、人情的な役目をよく理解し、一家の秘密に立ち入らない範囲で、手紙を受け取る人々の喜びや悲しみを自分の喜びや悲しみとするくらゐな気持になつてゐるのです。が、それはそれとして、彼は職務遂行上、最も能率的な方法を研究し、絶えず、新工夫を案出します。郵便物の数が増すことを村の発展としてひそかに歓迎するといふ風です。
 青年団の一員としては、村の青年の団結といふことに先づ心を砕き、修養の第一として、土地の歴史を知る必要があるといふので、国民学校の教師の一人にその研究を依頼し、村の経済を考へて、味噌醤油の協同製造を企てるなどの実践運動に邁進する一方、百年後の○○村といふ、さほど珍しくはありませんが、なかなか綿密な調査の行届いた理想郷の設計案を頭の中で作りあげてゐるのです。
 神社を正面に、郷土先輩の立像と詩碑、学校、体育場、博物館、図書館、動植物園、露天劇場、農産物品評会場、青少年学芸展覧会場などが整然として一廓を成してゐます。村役場を中心として、集会所、倉庫、病院、郵便局、購買組合などの建物がこれまた順序よく並んでゐます。
 新しい開墾地を含めた耕地整理も完成し、植林も計画どほりに進み、貯水池は満々と水をたゝへ、周囲の共同果樹畑と共に、一大公園をなしてゐます。
 部落毎に公衆電話、消防設備、託児所、炊事場、浴場があり、各戸はそれぞれ伝統と風土とを重んじた専門家の設計によつて、大小の差こそあれ、山村の農家として模範たるべき建築をといふのです。そのうへ、部落全体の集団生活に基づいた、便利でかつ親しみ深い一戸々々の配置が考慮されてゐます。
 村専用の馬車が絶えず人と物とを運んでゐます。道路は常に部落の責任に於て修復され、ラジオ聴取者が全戸数の百パーセント、その代り、新聞は浴場前に掲示するほか、隣保班で回読をする仕組みになつてゐます。
 なほ、この計画に含まれてゐる注目すべき精神は、近代的施設が農民の生活を安逸に馴れしめず、却つて、心身の鍛錬が規則的にできるやうな特別な方法が講ぜられてあることと、この理想郷建設の運動を、単に、一ヶ村の運動に止めず、隣接町村をも蹶起せしめて、共々に協力すべきは協力し、断じてわれ独り模範村の名を得ることで満足しないといふ、誠に今日の要求に合した、国民的自覚の現れであることであります。
 かういふ計画が百年後でなければ実現すまいと思はれる理由について、その青年は極めて率直に村の実情を語ります。みんながその気になつてくれさへすれば、十年後には容易に計画の半ばは達成するだらうにといふのです。そこに大きな、眼に見えない、しかし、国家のためには由々しい障碍と困難とがあるわけです。従つて、この「夢」はこのまゝ独りよがりで、人々にこれを押しつけるやうな態度に出ず、諮るべき人に諮り、説得すべき人は説得して、村全体の総意にまで進め得るものならば、もはや、彼にとつては、これこそひとつの「志」なのであります。
 彼の職業は微々たる一郵便配達です。しかし、彼の存在は、さうなれば、おそらく村の光明であり、郷土の力であらうといふことを、私は固く信ずるものです。
 青年の「夢」が、いはゆる「栄達」であるといふことは、誠に悲しむべきことであります。なかには、地位と権力とを得なければ天下の大事を成し遂げ得ないではないかと云ふものもあります。「天下の大事」とは抑もなんでありませう。国民の一人々々が真の実力を蓄へ、その実力を完全に発揮することより外に、天下の大事などといふものは考へられません。真に有能な職工を得るためには、親子三代その業を継がさねばならぬとまで云はれてゐるのです。さういふ職工が日本に幾人ゐるでせう。そこにも亦、ひとつの「夢」がある筈です。青年が子孫の時代のことを考へてはならぬといふわけはありません。

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