大日本帝国臣民としての矜り、国家活動の一部を担当する矜りが、勃然として目覚めてゐるのです。
新しい青年の典型は、まづさういふ領域から生れて来る筈だと思ひます。
学校と軍隊とは、ある意味に於て、青年の典型を創りつゝあると云へますが、それだけでは十分でありません。現在では、家庭と職場のおほかたが、それを破壊しつゝあるからです。
典型はなによりも独善的なものであつてはなりません。常に普遍性をもつて世界にのぞみ得るものでなければ、真の典型とは云へないのであります。
しかしながら、典型は典型でも、個性なきものは観念にすぎず、階級職域を混同したものは、社会の調和を乱し、風俗の悪化を招く原因です。例は少し違ひますが、同じ軍人でも、将校、下士官、兵と、それぞれの典型が自然に創り出され、単に服装が異るばかりでなく、職務の軽重広狭に応じて、その分に応じた最も優秀な型といふやうなものが、暗々裡に衆目の認めるところとなつてゐます。将校のうちでも、青年将校と老将軍とでは、その典型に格段の差があります。陸軍と海軍とは、また幾分別です。
軍人は固より、国家の干城、陛下の股肱といふ絶大の矜りと、更に、その矜りを如実に示すための一糸乱れざる訓練によつて、そこから、世界的にも渇仰の的となり得る日本軍人の典型が生れたのでありますが、同じ日本人でありながら、他の職域に於ては、個人的価値は別として、未だ軍人に匹敵するほどの頼もしい典型が創り出されてゐないといふことは、今日、まことに心外の至りであります。
たゞ、私の考へでは、既に、社会の各層、各職域を通じ、個人的には、「立派な日本人」が存在し、一部からは「あゝなくては」と思はれてゐながら、それが全体の注目するところとならず、たとへ注目されてゐても、これこそ「典型」なりといふ共通の認識がまだできてゐない場合がありはせぬかと思ひます。そしてその半面には、さほどでもない人物が、たゞある種の行為、または特徴のために、過大評価され、俗論によつて、さもそれが「典型」であるかの如き取扱ひを受け、却つて心あるものの疑念を深めてゐるといふ事実もなくはありません。
真の典型の創造は、その発見とともに、かくの如き事情によつて屡々妨げられるものであります。
こゝに於て、青年の夢が、その純真な翼を大きくひろげなければなりません。強く正しく美しいものに対する青年の憧れは、なまじ学識や経験を超えて、はるかに鋭い直観となり、自ら求めるものを指し示さずにはおきません。もちろん漠然としたものであるかも知れません。しかし、それはそれでよろしい。一つの映像として脳裡に描き得る典型は、寧ろ捉へ難き永遠の夢なのです。現実にこれを求めんとすることは、すべての夢と同じく、それは無駄である。たゞ、その典型に通じるものを求めて、それを得れば大いに足れりとすべきであり、自ら典型に近づくことを努めて、一歩前に進み得たら、なほさら結構であります。
試みに一二の例を挙げれば、農村青年の典型は、決して、農村青年としてのみ「模範的」であることではなく、すべての青年をして「あゝなりたい」と羨望せしめるていの魅力を備へてゐることが必要で、少くとも、「さぞ満足であらう」といふ感慨を催さしめる程度のものでなければなりません。
また、これと同じことが、青年工員また商業青年についても云へるのであります。
かういふことを云ふと、今では幾分不自然に聞えるかも知れませんが、それは現在までの世俗的な偏見に囚はれてゐるからで、農村も工場も会社商店も、国家的生産乃至配給の場としての権威を今や十分に発揮し、軍隊勤務に劣らぬ重要性を国民は認識し、これに従事する青年の「志」を多としてゐるのであります。あとにはたゞ、これらの青年に、夢を夢みる能力ありやなしやの問題が残るだけです。
現代に於ては、学生にさへもあるべき筈の典型が失はれ、明治時代の例の「書生」にみられた闊達高邁な意気は、その風貌から消え去つたやうに見えます。わづかに制服を纏つた類型が、ひそかな矜りを面映ゆげに運んでゐるにすぎません。彼等の夢は、嘗ては立身出世の邪道に落ちたが、今日の多数は、その余燼を留めて、やうやく収入の多きに走る有様と聞けば、典型の消滅もまた当然とうなづかれます。
青年の夢は、未来の己のすがたを夢みるところから始まります。夢を導き育てる道は、必ずしも遠くにはありません。いま、現に立つてゐる道の彼方は、誤りなく広大な夢の野に通じてゐます。それは如何なる境遇に身を置くかといふことではなく、その境遇を如何に切り開くかといふことであります。職業の貴賤、身分の損得は、たゞ理窟の上だけでなく、現実の問題として、断じてあり得ないことを固く信じるところから出発すべきであります。
人間は、男にせよ、女にせよ、また老人にせよ青年にせよ、その人物が世の中にゐるといふだけで、既に、世の中の光明たり得るのです。何をしてゐる人間かといふことはその次です。
ある職業が時に社会から軽視されてゐたとすれば、それはその職業本来の性質からではなく、その職業に従事するものの大部分が、如何なる意味に於ても、高い理想をもたず、美しい夢を失ひ、仕事と生活とを通じて、自ら矜りを捨て、顧みなかつたからであります。
一見、職業の性質がさうさせたやうに見える場合でも、深く事実を見究めれば、決してさうではなく、社会の偏見を是正し、または、これと戦ふ識見と勇気とを欠いた、職業伝来の自卑的態度によるものです。故に、誰かが起ち上つて先づ自己革新の狼火を挙げ、進んで天下の蒙を啓かうとすれば、何時かは周囲が風に靡かぬ道理はありません。こゝにも既に、大きな夢があります。そして、一つの新しい典型はその夢からこそ創り出されるのであります。
それならば、青年男女の夢を養ふものはなにかといふと、これまでは、多くは、英雄偉人の立志伝であり、或は、貞女烈婦の美談でありました。これからもそれは不必要だといふのではありません。卑俗な一攫千金の夢や、玉の輿に乗る夢などを追ふよりも、むしろますます、かゝる非凡人の努力の生ひ立ちに学ぶ方が、どんなにいゝかわかりません。しかし、それだけではまたいけない。もつともつと必要なことは、日本の歴史を深く味ひ、更に郷土の歴史を精しく調べ、同時に、青年としての自己の本分をしかと胸にたゝみ、その上で、人間の価値についての正しい批判の尺度を、傑れた文学によつて自分のものとすることであります。
夢は手近なところから遠大なものへと伸びて行きます。
勤労と修学とを含んだ日常生活からはじまり、「かくある自分」と「かくあるべき自分」との距りに気づけば、もはや、美しい夢の門口に立つたのです。自分を「かくあらしめる」工夫と努力に一歩踏み出せば、そこでは、おのづから、典型の創造が企てられてゐるのです。かうなつたら、夢の翼をひろげるだけひろげるがよろしい。夢は飽くまで美しく、飽くまで逞しいものとしなければなりません。しかも、それは如何に遥かなりと雖も怖るゝに足りない。たゞ、怖るべきは、純潔ならざるものの混入することであります。僥倖をたのむ心理が、夢に化けて忍び込むことであります。
真に美しく、逞しい夢は、決して甘くもなく、また、明一色ではありません。苦難と歓喜を交へた戦ひの夢、戦ひに傷つき傷つき、しかも幾度か起ちあがつて遂に凱歌を奏する夢であります。従つて、真の新しい青年の典型は、ゆかしく凜々しい日本的典型の上に、若さのもつ健康と職分の嗜みとを加へ、日本青年としての雄大な気宇を自然に備へながら、男子は男子らしく剛毅に、女子は女子らしく柔軟に、それぞれ清純な風格をもつて人をして畏れ懐かしめるものでありたい。言葉をもつて典型を描くことは抽象の域を脱しないからこれくらゐにしておきますけれども、更に、私の望むところは、単に、男女青年がそれぞれ同性の典型を頭に浮べるだけでなく、同時に、異性の素晴しい典型をおのおの想ひ描くことによつて、健やかな一つの夢を抱いてほしいことであります。
これは現在の青年にとつてまことに重要なことでありますが、結果として、いづれは、男女青年互に、それぞれの典型を、協力して創りあげることになるでせう。典型の完成であります。夢が典型を生み育てるといふ意味は、たしかに、かういふところにもあるのです。
しかし、これは急ぐには及びません。日本の青年は、今や、夢と現実との交錯とも云ふべき大戦争によつて完全な試煉を受けつゝあります。男子青年の描かざるを得ぬ巨大な夢は、千里の海を越えた戦場に散る潔きつはものの誉であり、女子青年にあつては、やがて「おほみたから」を儲くる日の尊きおのが命《いのち》でありませう。
「兵士」と「母」、この二つの名は、そのまゝ、現代日本に稀な典型を創造した、またとなく厳粛にして清らかな名であります。
[#7字下げ]五[#「五」は中見出し]
青年は「夢」に生きると云ひますが、それと同時に、青年は、屡々「憂欝」の囚となるものであります。いはゆる明朗闊達な青年と雖も、実はその例に漏れないのです。
この「憂欝」の原因は、一つには、俗に「春の目覚め」と称する生理的変調にあるのですが、一つには、青年の「夢」そのものと密接な関係があるのであります。
生理的理由から来る「憂欝」は、医学の立場からすれば、一種の気分転換によりこれを克服すべきだと云ふのであります。即ち、勉強とか運動とかに専心すること、宗教や芸術に没頭することなどが、具体的に示されてゐます。時に、身体を規則的な操作によつて疲労に導くことが最も効果的であると云はれてゐます。
その方面のことは、一応専門家に委せるとして、私は、それよりもこの「憂欝」が、「青年の夢」と如何なる関係があるかを述べてみます。
「憂欝」とは、文字通り、一種の心理的な不快を指すのですが、その不快は爆発的なものでなく、むしろ内攻性をもつたもので、訴ふるに由なき焦躁の圧縮された気分の重さとでも云ふゞきものです。それは堪へがたい苦悶にまで至ることもありますが、おほかたは、環境の変化によつて明暗の度を異にする程度で、苦《にが》い吐息を交へることもあり、落莫として唇を噛むこともあり、たゞ味気なく、ひとり物思ひにうち沈むこともあります。
「歓楽極つて哀愁多し」とは、青春そのものの花やかな幸福感にもよく当てはまるやうに思はれます。哀愁はこの場合、憂欝の同義語とみるべきでせう。今日の時代は、青年の奔放な生活を許す筈もなく、青年も亦、善悪は別として、さういふ生活を望んでゐないやうにみえますが、もともと、人生の屈託もなく、歌ひたい時には何時でも歌ひ、酒はなくても、酔ひたい時には何にでも酔へるのが青春です。どんな「夢」でも、さう不自然でなく、すべての欲望は満たされない前に、既に十分な甘味としてこれを口に啣《ふく》み得るといふ時代、これは単純に幸福きはまる時代です。
意識するとしないとに拘らず、かゝる幸福感の末端には、一種空虚な寂しさ、名状しがたい憂欝がちらと顔をのぞかせます。
「満ち足りた物足らなさ」といふやうなをかしなものです。それを、青年自身、しばしば「満たされざる」ものと感じるのです。
憂欝はまた、人に語り得ない心の秘密から生じる場合が多く、それは自分を孤独なりと信じる妄想ともなり、また、いはれなき淋しさ、うら悲しさ、遣瀬なさともなります。
しかしながら、ある種の「憂欝」は、憤りの相貌を呈します。不快の真因がわれになく彼にあり、しかも、それが、不正、不純、不義である場合がそれであります。悲憤慷慨と云ひ、憂国慨世と云ひ、いづれも、この種の「憂欝」の露はな表情であります。
[#7字下げ]六[#「六」は中見出し]
青年の美しい「夢」は、いづれに向つても健やかに伸びさせたいものですが、「夢」の進路を遮り、これを土足で荒すものは、非情そのものの現実であります。特に、現実に屈服し、現実と狎れ合ひ、現実の威をかる大人の、事もなげな「夢」の排斥、否定、蔑視は、青年の忍び難いところです。
現実は元来、決して醜いも
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