は単純に幸福きはまる時代です。
 意識するとしないとに拘らず、かゝる幸福感の末端には、一種空虚な寂しさ、名状しがたい憂欝がちらと顔をのぞかせます。
「満ち足りた物足らなさ」といふやうなをかしなものです。それを、青年自身、しばしば「満たされざる」ものと感じるのです。
 憂欝はまた、人に語り得ない心の秘密から生じる場合が多く、それは自分を孤独なりと信じる妄想ともなり、また、いはれなき淋しさ、うら悲しさ、遣瀬なさともなります。
 しかしながら、ある種の「憂欝」は、憤りの相貌を呈します。不快の真因がわれになく彼にあり、しかも、それが、不正、不純、不義である場合がそれであります。悲憤慷慨と云ひ、憂国慨世と云ひ、いづれも、この種の「憂欝」の露はな表情であります。

[#7字下げ]六[#「六」は中見出し]

 青年の美しい「夢」は、いづれに向つても健やかに伸びさせたいものですが、「夢」の進路を遮り、これを土足で荒すものは、非情そのものの現実であります。特に、現実に屈服し、現実と狎れ合ひ、現実の威をかる大人の、事もなげな「夢」の排斥、否定、蔑視は、青年の忍び難いところです。
 現実は元来、決して醜いも
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