深く地方などに残つてゐはしますまいか。つまり、卒業免状乃至は何々といふ肩書を見せに国へ帰ることが「学成り志を達した」ことだといふやうな気風です。
そして、これは「故郷へ錦を飾る」といふ風な、いはゞ感傷的な立身出世主義に通じるもので、従来、多くの青少年は、これがために奮ひ立ちもした代り、また同時に、これがために屡々身を誤つたのであります。
「立身出世」の夢ほど、青年の真の「志」から遠いものはないと私は信じます。栄達を望むのは人情だとすれば、栄達にも増した美しい夢を、より人間的な夢を、なぜ青年に与へようとしなかつたのでせう。
昔の少年たちは、大臣大将を夢みたものですが、それは無邪気な英雄主義でありました。しかし、明治この方、前の詩に現れてゐるやうな気風が盛んで、田舎にゐては志が遂げられないと思ふものが多かつたのです。これはひとつには、地方の雰囲気が雄心勃々たる青年の「夢」を育てるだけの魅力を欠いてゐたことにもよりますが、ひとつには、専門の学校を出なければ一人前の人物になれないといふやうな誤つた考へがはびこつてゐたからです。
固より、特別な仕事に興味をもち、それだけの天分を恵まれてゐるものは、事情の許す限り、それぞれの道に進むこと、大いに結構でありますが、一方、家業を継いで父祖の歩んだ道を歩むといふことも、これまた、非常に立派なことで、日本青年の「志」とするに足ることであります。
たゞ、それには「夢」があるかないかといふことです。
極く月並な考へ方をすれば、どんな家業でも、たまたまそれによつて、相当の産を成し、土地の声望を得るといふやうなことだけで満足するでせう。一家の繁栄はすべての職業の目的であるかのやうに思はれてゐました。青年の夢は決してそんなものであつてはなりません。こゝで具体的に、一人々々の青年の「かうあつてほしい夢」について私が語ることはできませんが、少くとも、今日、「職域奉公」といふことが云はれるのをみてもわかるとほり、すべての職業は、その職業自体が国家の目指すところを目指してこそ、青年の「志す」道として選ぶに足るものであり、それはどんなにさゝやかな仕事のやうにみえても、その仕事をほんたうに活かせば、常に大きな「夢」につながるものであります。
なぜなら、仕事の価値はその「量」だけで計るのではなく、むしろ、その「質」であり、「質」だとすれば、それは、
前へ
次へ
全20ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング