日本の所謂近代文化の領域に於て最も欠けてゐる部分なのであります。
第一は文化部門の政治への教育、即ち政治の文化性であります。これは今日までたゞ批判として述べられてゐましたが、最早批判の時代ではありません。少くもわれわれ国民全体が大政を翼賛し奉るといふ意味に於て、日本の政治をよくするも悪くするも国民の責任であります。かゝる意味で文化部門の者がそれぞれその智嚢を傾けて政治への教育をすることが必要であると考へます。
第二には、狭義の文化部門が各職能人の専門的孤立に陥らず、十分の連絡交流を図ることであります。
第三はこの文化部門が国民生活に十分に根を下すやうなものにならねばならぬことでありまして、今日までは動もすれば文化が生活から遊離し、文化部門が国民大衆と無縁のものであるかの如き印象を与へてゐたことを、十分反省せねばならぬと思ひます。かくしてこそ真の意味での大衆の文化部門における向上が期せられることを確信するのであります。
文化各専門部門が相互に連絡交流し、しかも一般国民生活に根を下すこと、この二つが第一の文化の政治性を取戻すことかと思ひます。
以上は全国的文化運動の課題でありますが、地方文化運動はこれを基礎としつゝ更に地方的特色をもつて行かなければならぬと思ひます。その為には地方文化が中央の文化に比較して水準が低いといふ誤つた考へ方を一掃しなければなりません。これは、文化は中央に於て形づくられ、それが地方に分布されるといふ考へ方によるものでありますが、一国の文化は決して中央都市でのみ作り出されるものではないことは申すまでもなく、特に地方生活、産業に結びついた伝統の強味は一国の文化を形成する上に最も重要な要素であります。謂はゞ地方においては文化の骨組と肉付きは既に出来てゐると思ひます。そして、もし地方文化に悪いものがあるとすれば、これはその地方の現在における文化の在り方が一種の動脈硬化乃至貧血の症状を呈してゐる所があるからだと思ひます。更に言葉を換へれば、この力強い伝統と密接不離になりがちな、断ち切り難い因襲があるからであります。伝統の形に於ては非常に見事なものが因襲といふ形になりこれが一種の病根になるのであります。この病根は地方文化振興の際に特に重要な問題として考へなければならぬものであります。
さて、かくの如く根本的な基礎があれば、国民的理想を更に夫々の
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