に引戻して考へねばなりませんが、今日は既にその必要はないと思ひます。又、乱雑な使用によつて概念が曖昧にされてゐることは、われわれの努力により、これを是正することが出来ると思ひます。
さて、種々の言葉が広義と狭義の意味を持つやうに、文化も亦自然広狭二義に使ひ分けなければなりません。広義においては、少くとも国民の理想を追究する過程において、作り出して行く生活の表現であると言つてよいかと思ひます。従つてこの国民の精神的能力が文化の基礎になり、国家活動の原動力も国民の文化能力にあると云へるのであります。その意味においては、政治・経済・軍事・外交・産業等凡ての基礎に国民の文化能力が考へられねばなりません。狭義においては、翼賛会で文化部といふ一部門を持ち、又政治経済と並べて文化の新体制が言はれてゐるやうに、職域或は社会機構としての文化部門が考へられますが、それはこの「地方文化新建設根本理念」の中にも挙げてありますやうに、学術・宗教・教育・文学・芸術・新聞・雑誌・放送・出版・体育・娯楽かゝる職域を文化部門と考へて宜しいかと思ひます。
文化を広狭二つの意味に使ひ分けねば、文化運動を進める上に種々の不便がありますが、更にそれだけでは解決のつかぬ問題があります。それは、今日国家としての重大問題の中に所謂文化問題が含まれてをり、翼賛会は、翼賛運動・国民運動として採り上げらるべき文化問題、例へば国語の問題、少国民の問題、婦人問題、或は更に国民生活の問題、対外文化事業の問題と重点的に掲げてをりますが、これらは何れも広義の文化の上に立ち、同時に狭義における職域の文化部門に関係もあり、更に国民全体がこれに協力すべき分野なのであります。
又、文化といふ言葉が今日までは主として国境を越えた人類の理想といふやうな目標を掲げてゐたために、日本の近代文化が甚だしく民族性乃至国民性から遊離してゐた事実があります。私は、日本的性格に近代的特質を十分調和させて行くことが大事であり、重要な点だと思ひます。即ち文化運動は大政翼賛運動である意味に於て日本的性格を十分持つてゐなければならない、同時に明日の世界を創造する普遍性を持たせる意味に於て近代的生活をやつて行かねばならない。そこに今日の国民文化運動の目標が自から明瞭りすると思ひますが、これを更に具体的に考へると、大体三つの目標が考へられます。これは今日までの
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