生じてくるのであります。
趣味にしろ娯楽にしろ、元来自分の生活以外に求めるといふ考へ方は、間違つてゐると思ひます。たとへば音楽に趣味をもつてゐる人ならば、その人の生活は少くとも音楽によって浄化され、また音楽によつて明日の力を与へられるやうになつてゐなければならないと思ひます。茶の湯、生花を婦人の趣味として習ふ場合、それは決して、生活をかざるものとして、生活に何かをつけ加へようとして習ふのは、大きな間違ひだと思ひます。
茶の湯も生花も共に、日本人のすぐれた趣味が作り上げた最も純粋な生活芸術なのでありまして、その技術を身につけるといふことは、茶の湯なり生花なりの精神をもつて、日常生活の隅々を最も日本的に秩序立て、美化する一つの道なのであります。従つて、茶の湯や生花の稽古に通ふ若い女性が、非常に趣味の悪いけば/\しい服装をしてゐたり、人前でろくに話も出来ないやうなみだしなみを暴露するやうでは、全く何のための茶の湯生花だかわからないのであります。
運動競技の類も、一面趣味としてたのしむことが出来るのでありますが、また料理とか裁縫とかいふものも、たゞ家庭をもつに必要な技術としてだけでなく、
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