趣味としてむかへば無限のたのしさが生じるやうに考へられます。またさういふ風に、たのしんで料理や裁縫に没頭してゐる婦人の生活には、他の者にはわからない味ひがあるのでありませう。
日常生活のたのしみは、普通、暇と金とさへあれば、わけなく得られるやうに考へてゐる者がありますが、これは大変な間違ひだと思ひます。ふだん、忙しく仕事に追はれてゐる者が、時たま休養の時間を得るといふことは、理窟なしにたのしいことに違ひありませんけれども、その休養の時間を最も有効に過すといふことは、決してその時間の長いと短いとに関係があるわけではなく、また使用し得る小遣ひの高には関係がありません。
要するに私の考へでは、その時間を誰と共に過すかといふことで決るのだと思ひます。いひかへれば、われ/\は同じ時間を愉快にすごすのも退屈してすごすのも、多くは一緒にゐる相手次第だといふことがいへるのであります。これは遊ぶ時だけではなくて、仕事をする時も同様であります。頭を使ふ仕事の時だけではありません。筋肉を働かす仕事の場合も同様です。
そこで、われ/\の生活の大部分は、家庭にあるか職場にあるか、いづれにしても常に誰かと一
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