世界覗眼鏡
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)地下鉄道《メトロ》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|文《スウ》、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)ひよい[#「ひよい」に傍点]と

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\達者だ。

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)“〔Ca m'est e'gal〕”
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 この覗眼鏡はそんなに珍らしいものではない。ただ、当分用がなささうだから、どこか邪魔にならないところへしまつておかうと思ふのである。
 こはれたり、狂つたりしてゐるところがあるかもしれない。殊にほこりだらけだから、手を汚さないやうにして見て下さい。
          ★
 セシル・ソレル嬢といへば、パリ人ならだれでも知つてをり、アメリカ人と日本人とに多少名前を覚えられてゐるコメディ・フランセエズの幹部女優であるが、婆さんの癖に器量自慢で、いつもコケツトの役を得意になつて演じてゐる。
 鼻が高すぎるので、舞台でも、サロンでも、写真をうつす時でも、きまつて天井を見てゐる。これは僕の発見だ。
 この女、ある朝、寝床の中で、コオヒイかなんか飲みながらコメディア(演芸新聞)をひろげると、二段抜きで、だれかの漫画が出てゐる。お化のやうな女だ、眼尻のしわが年を語り、偉大なわし鼻と、あごのしやくれ方に著しい特徴がある。おや、だれかに肖てるな、と下を見ると、驚いた。正しく、コメディ・フランセエズ――セシル・ソレル嬢ではないか。
 丁度、その日から漫画の展覧会が開かれるといふことは聞いてゐた。その展覧会に出品された自分の絵姿だと気がついた時、セシル・ソレル嬢は、寝台の上で歯ぎしりをした。
 彼女は、卓上電話を取り上げて、知り合ひの弁護士を呼びだした。
「あ、もしもし、あんた、今朝のコメディア見た?」
 それから、彼女は、漫画家Bを相手取つて名誉毀損の訴訟を起すことにした。
 翌日の新聞は賑はつた。――賠償金十万フランを請求――セシル・ソレル嬢曰く「女優は美しいといふことが義務なのです。いいえ、美しい権利があるのです」
 一方、漫画家のBは、自分の作品が名女優の御気嫌を損じたことを遺憾とし、展覧会場に慈善箱をつるして、賠償金十万フラン調達のため、一般観衆の喜捨を求めた。
 展覧会場は押すな押すなの騒ぎである。
 セシル・ソレル嬢は、もうぢつとしてゐられなくなつた。自動車を命じて会場にはせつけた。見ると、その絵の前は黒山の人だかり。彼女は、その黒山をかきわけて、前に進み出た。そして、あはや番人の留めるひまもなく、繊手を伸ばして、額のガラス板をたたきわつた。
 翌日の新聞――「セシル・ソレル嬢の暴行」――「問題の絵は、傷ついたまま、N県選出代議士、某市市長、F氏に買ひ取られた」「嬢はガラスで指を切つた。その上、はめてゐた指輪のダイヤが、その時どこかへ紛失した」――「そのダイヤを拾つて届け出た者には十万フランの懸賞」――云々。
 展覧会が済んだ時、B君の慈善箱にはいつてゐた金、総計百十何フラン何サンチイム。
 程経て、紛失したダイヤモンドが嬢の手許に届けられた――といふ記事。届けた男は彼女の運転手だつたといふこと。記者は最後につけ加へる。
「その運転手は馬鹿な男だ。なぜ自動車の中に落ちてゐたなら、自分でそれを持つてゆかずに、仲間の一人に、はい私がどこそこで拾ひましたといつて届けさせ、懸賞の十万フランを山分けにしないのだ」
          ★
 そこは、カルチエ・ラタンの一隅、パストゥウルの並木道だ。マロニヱの落葉が、十月の風に舞ひながら、石畳の上をすべつてゆく。大戦後間もなく、パリは街燈が消えたままだ。
 デセエル一皿を倹約して、僕は行きつけのレストランを出た。
 地下鉄道《メトロ》の入口に影絵のやうな人の動きが見える頃だ。
 独り歩きの散歩にあきて、傍のベンチに腰をおろした。
 すると、どこからともなく、一人の男が近づいてくる。
「今晩は」
「どなたでしたかね」
「初めてお目にかかるんです。君は支那の方でせう」
「…………」
「さうぢやない」と答へるのは野暮の骨頂である。さういふ時“Non, Jes uis Japonais.”とでもいつて見給へ、そして相手が気の毒さうに詫でもいふと思つて見給へ。それこそとんだ間違で“〔Ca m'est e'gal〕”(どつちだつておんなしだ)が関の山だ。
 もつとも、こんな話がある。僕が南仏の旅行をして、ニイスの近くに差しかゝつた時だ。同じ汽車に、フランスの中尉が乗つてゐて、僕にいろいろ東洋の話をもちかける。いい加減にあしらつてゐると、
「君は支那人に珍しく、ひげを生やしてゐるね」とやつたものだ。なるほど、支那人にはひげは珍しいが、僕のひげは日本人のひげだ。面倒臭いから、にやにや笑つてゐてやると、奴さん、図に乗つて、
「君は北京か、広東か」
「どつちでもない。おれはトウケウだ」
「トウケウ、トンキンか」
「日本の東京だよ」
「君は日本人か」
「当り前さ」
「そんなはずはない」
「なけりや、勝手にし給へ」
 僕の権幕に、ややたぢろいで、それでもあきらめ兼ねたらしく、
「それぢや、君の両親のどつちかが、支那人だらう」
「…………」
「僕は東洋の植民地に永く勤務してゐたので、東洋人の骨格はちやんとわかる。支那人、日本人、安南人、みんなちがつてゐる」
「なるほど。それで、僕の骨格が支那人だといふんだね」
「疑ひの余地なし」
 折角さう信じてゐるものを、証拠まで見せて失望させるにも当らないと思つたが、僕はカバンの裏に張つてある日本大使館のマアクを指して、組んだ脚の爪先を動かしてゐてやつた。然し、僕は、内心、ひよつとすると、先祖に帰化人があるんではないかと思つた。
 序だが、ある女から「お前は支那人か」といはれ、味気なくなつて、そのまま帰つて来た日本人がある。同じ女が、別の機会にそれとよく似た男をつかまへ、今度は「お前は日本人だらう」といつて見た。するとその男は、こぶしを固めて、女の下つ腹を突いたさうだ。
 話がわき道にそれたが――
 その、どこからともなく現はれて、僕のそばへ寄つて来た男に、
「君は支那人でせう」と訊かれ、平然と僕は答へた。
「さうだ」
「僕は貴国の聖人を知つてゐます」
「孔子《コンフシウス》だらう」
「さやう」と、この男は、眼をギヨロリと光らした。
「貴国の方は、それにみんな詩人ださうですね」
「さうでもない」
「僕は、貴国の留学生を二三人識つてゐます。名前は忘れたが、いづれも極めて愛すべき人達でした」
 やや生硬なフランス語だが、なか/\達者だ。こつちが黙つてゐるので、
「僕は、ポオランド人です。学生です。貧乏な学生です。苦学をしてゐるのです。自分でパンを得なければならないんです」
「僕もさうだ」
「然し、君は、政府から補助があるんでせう。いくらもらつてゐるんですか」
「一文ももらつてやしない」
「ほんとですか。しかし、レストランで食事ができるんでせう、毎晩」
「できることもあり、できないこともある」
「僕は、昨日から、飲まず、食はずです」
「おれは、明日から飲まず食はずだ」
「冗談でせう。君は時計をもつてゐますね」
「君は服を著てゐる」
「…………」
「君はまだおしやべりができる。おれは、今、ものをいふことさへいやなんだ。あつちへ行つてくれ」
「僕は、一昨日まで、写字と翻訳をやつてゐたんです。写字は一行一|文《スウ》、翻訳は一行二|文《スウ》です。それでやつとパンにありつけるのです。それさへ、もう、だれも仕事をくれないんです」
 僕は、その言葉を聞き流して、ベンチを離れた。パリには、到るところ、かういふ手合がゐて、東洋の君子に目をつけてゐるらしい。
          ★
 その広い部屋は、イタリイの新領土、南部チロルの山の中にあるホテルのサロンだ。メラノといふ小さな避暑地だ。同時に避寒地だ。まあ、日本なら熱海といふところだが、それが海岸でなく、山の中だ。
 隅の方で、こそこそ話をしてゐる一組の男女、男はイタリイ士官で、女はハンガリイ技師の細君、御亭主は、一週間ばかり前に、会社の用事か何かで本国へ帰つてゐる。
 ひとり、ミルク入りコオヒイを飲みながら、新聞の為替欄を読みふけつてゐるのが、昨日、ブタペストから寄り道をして来た日本の某名士と、その秘書である。
 墺伊国境劃定委員長たる仏国陸軍中佐Rは、その細君と子供とを引きつれて、今、アヂヂ河岸のプロムナアドへ、軍楽隊の演奏を聴きに出かけようとしてゐる。
 同じく墺国側の委員Z中佐は、誰かと丸テエブルをはさんで、シユニツツラアを論じてゐる。
 イタリイ委員P大佐、これは、決してサロンに姿を現はさない。夕食が済むと部屋に閉ぢこもつて、明日の会議に持ちだす修正案の稿を練つてゐる。
 英国のK中佐は、書記に命じて、翌朝の林檎を買はせる。
 日本委員M少佐は、ロシヤ人だといふ母娘に、明日午後のドライヴを約束してゐる。
 こつちでは、ホテルの支配人がイタリイ語で、盛装の婦人に何かお愛想を云つてゐる。この婦人はブカレストの女優T嬢だといふ噂である。
 そして、僕はベルリンで一流のレストランを経営してゐるといふユダヤ人K氏から、ベルリンに於ける日本留学生の金使ひについて聞かされてゐるのだ。
 僕はある日、馬車を駆つて、この古い町を一周した。道ばたにたたずんでゐる一人の老人に、何か見ておくべきものがあるかと尋ねた。
 すると、その老人は、自分で案内をしようといひだした。僕はその老人と並んで、馬車の揺れ方を気にしながら、それからそれへと話を交へた。
 この老人は、この町に古く住む外科医であることがわかつた。よく見ると、彼は、オオスタリイの兵隊服を著てゐる。途中で昼になつた。食事をした。ドクトル・Sは、馬鈴薯のソオテと、卵の半熟しか食はない。
 この医者の紹介で、やはりこの町に住む一人の学者を識つた。ドクトル・Fは哲学者である。リウマチで、寝たり起きたりしてゐるといふことである。この訪ふものもない隠退所は、白髪の老哲学者をして倦怠の限りを味はせたに違ひない。彼はフランス文学に明るかつた。日本の政治的地位について、明確な知識をもつてゐた。彼は米国を罵り、支那を讃美した。そして、ユダヤ人の恐るべきを説いた。僕をここに連れて来たドクトル・Sは、その民族に属してゐることを教へた。そして、彼自身は? 僕は、問はずして、彼が純粋のイタリイ人であることを知つてゐた。なぜなら、彼のすべてが、ラテンだ。彼のリベラリズムは、かの、「鳥料理レエヌ・ペドオク」の主人公、アベ・コワニヤアルを想はせた。
          ★
 何かの話から、ホテルのサロンは、今、柔道について論じ合つてゐる。
 一人のロシヤ婦人――それは、横浜に二年間ゐたといふ女――は日本人のすべてが柔道を心得てをり、指一本で相手を投げ倒すのだと主張してゐる。
 日本人尽くがさうであるとは信じられないが、少くとも軍人は柔道の達人であるに相違ない。M少佐はもちろん、その通訳も、多分、ああ見えてもやることはやるんだらう――これは、そのロシヤ婦人の傍を片時も離れない禿頭のルウマニヤ人である。
 指一本で投げ倒されてたまるものか。両手でかかつて来ても、俺なら大丈夫、あべこべに奴等の一人や二人、ねぢ伏せて見せる。かういひながら、腕を差しだしてゐるのが、例のイタリイ士官だ。
 僕は、その時丁度、その前を通りかかつた。
「ムツスイウ・K、一寸、ここへいらつしやい」
「なんですか」と、生返事をして、空いてゐる椅子に腰をおろした。
「さあ、僕のこの腕を、君の柔道でねぢつて見
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