たまへ」マカロニイは、婦人たちの前で見得を切つた。
「折れてもいいか」僕は笑ひながら訊いた。
「およしなさい、危ないから」ロシヤ婦人は慌てて留めた。
「そんなら、かうしてゐるから、どつちからでも押して見給へ。君の力で僕の身体が動いたら、どこででもお目にかかる」
さういつて起ち上つた。
僕は片手をその胸に当てて、ぐいと突く真似をして、その拍子に、うしろから、一本の指で、腰のあたりをひよい[#「ひよい」に傍点]と押した。ドツと女たちが笑つた。大尉は、両手を差しだして泳ぐやうに前へつん[#「つん」に傍点]のめつた。
★
僕は昔、幼年学校にゐる頃、ドイツ大使館付武官の紹介で、オオグスブルグのカデツテン・シユウレにゐる一カデツト・Wと文通を始めたことがある。この文通は、僕が士官学校を卒業する頃まで続いてゐた。その頃Wも学校を出て、同じ地方の砲兵連隊に配属されたことを知つてゐた。
欧洲戦争が始まつた。
彼の生死は全く分らなかつた。
僕はイインスブルグからミユンヘンへの旅を思ひ立ち、ドイツにおけるただ一人の知人が、あの戦争でどうなつたか、それも序に調べられたらと、ある日、ミュンヘンの日本名誉領事館を訪ねた。
領事は早速、オオグスブルグの砲兵旅団司令部にWの消息を問ひ合はせてくれた。その結果W中尉は、休戦になる前に、病気で軍籍を退いたが、今、やはりオオグスブルグに住んでゐるといふことがわかつた。それだけわかれば、あとはなんでもない。詳しい住所を警察で調べてもらつて、取り敢ず「会ひたい」といふ電報を打つた。返事はすぐ来た。
翌日、僕は、オオグスブルグ行の汽車に乗つた。
停車場に出迎へてくれるはずのWは、どんな男だらう。彼がかつて送つて寄越した写真は、どこかへ蔵つてあるはずだが……。汽車が着くと、僕はプラツトフオオムを見廻した。
曇つた、薄ら寒い日だつた。
汽車から降りるものも、乗るものも、みな疲れてゐるやうに見えた。
そのなかで、一人、目立つて血色の悪い男が、外套を著た肩をすぼめながら僕の方に近づいて来た。
二人は暫く顔を見合つてゐた。だんだんわかりだした。それが彼だつた。
しかし、この時、僕は確かに彼よりもにこにこ[#「にこにこ」に傍点]してゐた。といふよりも、彼は存外無愛想に僕の手を握つた。二人は、黙つて歩きだした。白状をすると、僕はもうこの時、旧友にめぐり遇つたといふやうな興奮状態からさめてゐた。
彼は多分毒ガスにやられたのだ。彼は、まだ耳の奥で、大砲の音が聞えるといひだすのだ。彼は時々、頭を抱へて空を仰いだ。
僕が案内されたのは、彼が若い細君と共に住まつてゐる、可なり上品なアパアトメントだ。細君は、予て話を聞いてゐたものとみえ、いそいそとこの遠来の珍客をもてなした。
燈がつく頃から、Wは急にしやべりだした。その昔、僕が彼に送つた手紙に、こんなことが書いてあつたといふやうな、僕がもうとつくに忘れてしまつてゐる事柄を、さも愉快さうに思ひだしては、話し話しした。
「へえ、君も軍人をやめたんですか。僕はまた、あの手紙に書いてあつた通り、フランスの大使館付武官になつて、ヨオロツパに来られたんだとばかり思つてゐましたよ」
「なんにもございませんが……」
といふことで、食堂に導かれた。草花が食卓を明るく飾り、銀製の古風な食器が、彼等の家柄を思はせた。
最初に型の如くオオル・ドウウヴル。これがまたなかなか凝つたものだ。その上、三人前としては、驚くべき分量だ。ドイツ人は大食だと聞いてゐたが、これはすこしどうかしてゐる。
「どうぞ、お取り下さい。もつと沢山お取り下さい」
Wは盛んにフオオクを動かしてゐる。細君も、なか/\達者だ。
「ちつとも召上りませんね。こんなもので、お口に合ひますまいけれど……」
「いいえ、飛んでもない……」
僕が、どうしてもお代りをしないので、細君は、主人公の方へ、一寸合図らしい眼付をしながら、さもいひだし悪くさうに、
「でも、あの、御馳走は、もうこれだけなんでございますよ。あとはお菓子しか差しあげられませんの」
主人公は、これも、やや極りわるげに、
「さうさう、君はまだドイツの現状を御存じないんですね。肉がないんですよ。今日は殊に、なんにも手にはいらなかつたんです」
「ほんとにねえ、折角いらつしつて頂いて、これぢやあんまりですわ。ね。でも、こちらは、これが当り前なもんですから……」
「さうでしたか。そんなら……」
といつて、またオオル・ドウウヴルに手をだしかね、さうかといつて、「いや、それは万々承知してゐます」と鷹揚に辞退するためには、あんまり腹が空いてゐるんだ。
★
君は、フランスの前大統領デシヤネルが、寝間着姿で鉄道線路の上を這つてゐたといふ話を知つてゐるかね。線路巡視がそれを見つけて、いろいろ調べて見ると、「おれは大統領デシヤネルだ」といつて威張るもんだから、テツキリ狂人だと思つて交番に渡したといふ話だが、それはほんとなんだよ。なに、公用でどこかへゆく途中、寝台車から抛りだされたまでのことさ。デシヤネルを「出車寝」と書いてもよささうだなんていつた奴がゐる。
これと何も関係はないが、これ以上喜劇的な場面を、フランス人といふ奴は日常平気で創作してゐるんだ。
★
それは、ある町医の診察室だ。何かの注射を受けに来た患者が、手術台の上に腹ばひになつて、尻をだしてゐる。
医者は、注射器を手に持つてその尻を撫で廻してゐる。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
医者 さう力をいれないで……。
患者 然し、先生、どこへやるんだか、はつきりおつしやつて下さい。その部分だけ力を抜いてゐればいいんでせう。
医者 この辺かな。(指で押す)
患者 その辺だとすると……。(片一方の尻つぺただけやはらかくしようと努力する)あいちツ。(もう針が刺さつてゐる)
医者 動かずに……。ぢつとして……。(注射液を徐々に押し込む)痛くはないでせう。
患者 痛いです。
女の声 (奥で)アルマン、ぢや、一寸行つてくるわよ。
医者 もう出かけるのか。それぢやね……。(患者に)一寸失敬……。(戸口に近寄り、戸から外へ首を突きだし)なんだ、その荷物は……。
女の声 帽子ができて来たんだけれど、飾の花が気にいらないから、取換へにゆくの。だつて、二た目とは見られないやうな赤いばらよ。
医者 赤いばらだつていいぢやないか。それぢや、今度はなんにするつもりだい。
女の声 なんか、もつと、あつさりした、似合ふものにするわ。
医者 (声を低くし)ぢや、帰りに、マルタンのところへ寄るだらう。
女の声 時間があつたらよ。
医者 どこか、まだ寄るところがあるのか。
患者 (苦しさうに)先生。
医者 いますぐ……。それで、どこへ寄るの。
女の声 いいとこ。
医者 (ぢれて)兎に角、マルタンのところへ行つたらね、今夜、勝負をするからつていつてくれ。
患者 (益々苦しさうに)先生、大丈夫ですか。なんだか、針が折れたやうです。
医者 (一寸振り返つて見て、それには答へず)遅くなると承知しないよ。おい、………(キツスの音)
患者 (泣きだしさうになり)痛いです、先生……。
医者 (やうやく元の位置に復し)まだ半分もはひりませんよ。
[#ここで字下げ終わり]
★
僕はマルセイユから、フランスMM会社の汽船ポルトスに乗つた。
一等船客としては、某国の侯爵が愛妻の遺骨を護つて帰朝の途にある。
二等船客として、S銀行の行員Xが、時々甲板の手すりに矮躯をもたせかけてゐる。
三等船客の僕は、同室のギリシャ商人がのべつに歌ふ鼻唄にごう[#「ごう」に傍点]を煮やし、お歯黒をつけた安南の美女に、果敢ない想ひを寄せてゐた。
支那学生の一団が、常に甲板の一隅で議論を戦はしてゐる。
植民地ゆきの軍曹夫婦が、腕を組んで食後の散歩をする。
ポオトセエドで船を下りたアラビヤ人は、絶えず呪文を唱へてゐるやうに見えた。
僕は甲板に出るごとに、予備大佐と自称するルウマニヤの綿布商人につかまつた。彼は日本の官憲が、小国の人民に対して横柄であり、大国の人民に対して慇懃を極めてゐる態度に憤慨した。ヨオロツパのいはゆる小国間に、日本の勢望が頓に失はれつつあることを説いた。彼はまた、世界の人肉市場について驚くべき博識を披瀝した。彼は、船客の誰彼を相手にポオカアの勝負をいどみ、もの凄い腕並みを見せた。彼は、寄港地の到るところに「行きつけの穴」をもつてゐた。
船が上海を出るといふ朝である。この男は上陸したまま帰つて来なかつた。彼の手荷物を陸に残して、船は碇を巻いた。
支那留学生の一団は、僕がその傍を通ると、一斉にこつちを見た。それは明かに敵意を示す眼だ。僕はかういふ時、わざわざ口辺に微笑をたたへて、その一人々々の顔を見返してゐた。――かういふ状態が二週間あまり続いた。
船がアフリカ西海岸のヂブチイに着いた。はしけ[#「はしけ」に傍点]の数が足りないので、上陸をするために、僕は彼等と同じはしけに便乗した。すると、船頭の黒人君、相手与し易しと見てとつたか、岸まではまだ半分と思ふ頃、不意に漕ぐ手を止めて、賃金割増を要求しだした。
一同は途方に暮れて顔を見合はせた。唯一人の日本人たる僕は、別に相談には与らなかつたが、彼等の視線は、たしかに僕の協力を求めてゐる。彼等は口々に――意味はさつぱりわからぬが――多分「顔が黄色いと思つて甘く見るな」とか、「馬鹿いへ、警官に訴へるぞ」とか、「愚図々々せずに早くやれ」とか、「相共に抱いて海に投ぜん」とか云つてゐるのであらう。
黒人君は黒人君で、白い歯をむきだし、いはゆる「プチ・ネエグル」で、「あとこれだけ……」と指を三本見せ、さもなければ、今度は手真似で、「船をこがぬ」と云ひ張つてゐる。
本船は明日の朝の出帆である。急ぐことはない。これからこの日光と砂の国に上陸したところで、水瓶を腰にかかへた赤銅色の女を見るだけの話である。それよりもこの黒と黄との争ひが、これからどう発展するか見てゐたい。
この時である。傍に座を占めてゐた彼等のうちの一人は、はじめて僕に話しかけた。―― Quel sale type !(なんといふ汚ない奴でせう!)
僕は眼でそれに応へた。
たうとう増金をだすことになつて、船は岸に着いた。
僕はいつの間にか、彼等の一行中に加はつてゐた。
最初船の中で僕に話しかけたのは、パリで医学を修めたといふC君である。
次に僕に話しかけたのは、アメリカで政治経済をやつたといふK君である。
その次は、フランスの女を連れてゐるL君、これはパリで支那料理の店をだしてゐる人である。
それからもう一人は、画家のS君、嘗て日本の美術学校にもゐたといふ変り種だ。
親日派と、排日派とに分れてゐるわけでもあるまいが、最後まで口を利かない幾人かがゐるにはゐた。――それすら、いよいよ上海で、僕のために別宴を張るといふ晩、快く食卓についてくれた。
医学士のC君は、一見茫漠として捉へどころのない、そのくせ議論がたまたま東洋精神といふやうな問題になると、顔面朱を注ぎ、口角泡をとばして相手を悩ますのである。
政治経済のK君は、もう、大学教授兼新聞記者といふ肩書をもつてゐるだけに、沈痛な口調で、冷徹な批評を、あらゆる問題の上に加へた。殊に日本の外交をめちやめちやに罵倒した。日米戦争は当然起るべきこと、その場合、支那は勢ひ米国に加担すべきこと、さうなると、日本は支那の海軍を軽蔑して、一挙にヒリツピンを占領すべきこと、すると支那は、ヒリツピンと日本本国との連絡を遮断して、米国艦隊の東京湾攻撃を容易ならしむべきこと、等々、彼は流暢な英語でまくしたて、僕がそれを黙つて聴いてゐると、眼界千里の海上には、音もなく夜がくるのである。
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仏国郵船会社の巨船ポルトス号は、一乗客たる某国侯爵家の要求を容れて、神戸入港の時間をわざわざ三時間遅
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