し、君は、政府から補助があるんでせう。いくらもらつてゐるんですか」
「一文ももらつてやしない」
「ほんとですか。しかし、レストランで食事ができるんでせう、毎晩」
「できることもあり、できないこともある」
「僕は、昨日から、飲まず、食はずです」
「おれは、明日から飲まず食はずだ」
「冗談でせう。君は時計をもつてゐますね」
「君は服を著てゐる」
「…………」
「君はまだおしやべりができる。おれは、今、ものをいふことさへいやなんだ。あつちへ行つてくれ」
「僕は、一昨日まで、写字と翻訳をやつてゐたんです。写字は一行一|文《スウ》、翻訳は一行二|文《スウ》です。それでやつとパンにありつけるのです。それさへ、もう、だれも仕事をくれないんです」
 僕は、その言葉を聞き流して、ベンチを離れた。パリには、到るところ、かういふ手合がゐて、東洋の君子に目をつけてゐるらしい。
          ★
 その広い部屋は、イタリイの新領土、南部チロルの山の中にあるホテルのサロンだ。メラノといふ小さな避暑地だ。同時に避寒地だ。まあ、日本なら熱海といふところだが、それが海岸でなく、山の中だ。
 隅の方で、こそこそ話を
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