世界人情覗眼鏡
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)凡《およそ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)採鉱や[#「や」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
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七
日本語の研究をしてゐるポリテクニツクの学生を紹介された。採鉱や[#「や」に傍点]金の専攻らしい。青年の家庭には、父君が外国貿易商であるせゐか、いろ/\珍しい人物が出入してゐた。
お茶の会をするといふので、僕は出かけて行つた。ほんたうをいふと、僕はあまりかういふ場所を好まない。殊にパリへ流れ込んで来てゐる外国人が、容易に出入できるやうな家は、たゞ雑然たるエキゾチズムの刺激があるばかりだ。
凡《およそ》パリへ行つて、文学芸術の修業を心がけ、アヴアン・ギヤルドの運動に眼をつけてゐたほどの人は、詩人A・Mの「面会日」を知つてゐるはずだ。これまた一寸類のない人種展覧会である。僕がそこで紹介された人だけでも、メキシコの詩人兼雑誌記者、ハンガリーの舞台監督、チエコ・スロヴアキアの文学青年、トルコの版画家、セルヴイヤの映画俳優、コルシカの女城主!
主人のA・Mは、当日、アパートメントの入口に立つて、一々来訪者に名簿を差だし、そのサインを需《もと》める。狭いサロンはたちまち満員、書斎、寝室、いづれも立すゐの余地なきまでに後から後からつめ込んでくるのであるが、もちろん大部分は立つてゐるのである。脚が疲れると人込みを分けて歩きまはる。その間に知つた顔を探すのである。ぼんやりしてゐるのがゐると、主人のA・Mが、その辺の、またぼんやりしてゐるのに引合はせるのである。ぼんやり同士は、まづ相手が何語を解するかを確めねばならぬ。一方が英語しか話せず、一方が仏語しかわからぬとなると、また、黙つて眼を反らすのである。眼を反らして壁を見ると、これはまた、世界土産展覧会である。一々数へ上るわけにもゆかぬが、デンマークの陶器皿と並んでスペイン風のたて[#「たて」に傍点]がかけてあり、支那の仏像の下にチロルのパイプがぶら下つてゐるといふ工合である。そこには、残念ながら安価な好奇心と、相殺された情調の効果があるのみである。
ところで、ポリテクニシヤンの家庭の茶話会はどうか。意外なことには、この席に、安南
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