春秋座の「父帰る」
岸田國士
菊池氏の作品を実際舞台の上で見るのは、「忠直卿行状記」の脚色されたものを除いて、今度、本郷座にかゝつてゐる「浦の苫屋」と、それから、明治座の「父帰る」がはじめてである。
「父帰る」は菊池氏の傑作らしい。菊池氏の傑作であるのみならず、現代日本の生んだ世界的名作であると云ふ人もある。
私は、今日まで常にさうであつたやうに、偉大な作品に対する敬意と期待とを以て、静かに幕が明くのを待つた。
嵐の一幕……。
私は非常な感動を受けた。涙を押へることができなかつた。声を上げて泣かうとした。私は自分が何処にゐるのかを忘れやうとした。
私はたしかに何物かを見た。私の心は、強く、何ものかに撃たれた。
私は、何を見たのだらう。夫に棄てられた妻、父に棄てられた兄弟を見た。二十年ぶりで我家に帰つて来る父を見た。父に対する兄の敵意を見た。弟の因襲的情愛を見た。母と妹の女らしい涙を見た。父の失望を見た。少しばかりの憤りを見た。そして最後に、兄の口から放たれる「血の叫び」を聞いた。私は泣いた。隣席の娘らも泣いた。後ろの田舎紳士も泣いた。神も泣くだらう。鬼も泣くだらう。若し泣
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