」と。
芸術家は、一般公衆と共に、自然と人生とを観ればいい。一層注意して観ればいゝ。絶えず眼を離さずにそれを観てゐればいゝ。そして、自ら胸に浮ぶ想念を、感興を、情懐を、たゞ正直に述べればいゝ――友と語るが如く。
その観方が、他のものよりも少し深く、その述べ方が、他のものよりも少し光彩に富んでゐるとき、彼は、少し彼らよりも芸術家たり得るのである。
凡そ、人間を、芸術家と然らざるものとに二分にしようとするが如きは、嗤ふべき妄想である。
芸術家を以て自任するものは、その道に於て、不明と慢心によつて何人をも退屈させてはならない。うるさがらせてはならない。
或る聴き手に取つて、その述べるところのことは、殊に平凡なことであるかも知れない。何も教へないかも知れない。それはしかたがない。それで満足する外はない――その聴手を微笑ましめ、または、快よき涙を誘ふことができたならば――まして、その胸を、ほんの少しでも撃つことができたならば――。
小山内君は「劇場の中に人生を観た戯曲」として或る脚本を斥け、あまつさへ、それを読んで、その作者の落度でもあるかの如く「驚いて」をられる。(読者よ、許し給へ
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