我輩は、胸を躍らした。読みはじめると涙が出た。殊にあそこだ…………(本を取り上げて読む)
[#ここから3字下げ]
すべて、見える世界から見えない世界へ還つたもの、すべて思ひ出に変つたもの、今はもう、跡形もないあかしで[#「あかしで」に傍点]の並樹が、われわれの心に、今もなほ影を落とす…………
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
プルウスト  読むのはよしてくれ。
グランジュ  どうしてだ。しかし、その先へ行くと、急に酔ひが覚めたやうな気がした。
プルウスト  もういゝ。
グランジュ  いや、我輩もそこは読みたくない。君は、真実であらうとして、気の毒なほど骨を折つてゐる。君は、誰にも気づかれぬやうに、我輩をやつゝけてゐる。――我輩の親爺が生きてゐたら、さぞ驚くだらう、息子のジャックが――その絵をみんな冗談扱ひにしてゐた息子のジャックが、今は、その当時のアカデミシヤン以上に偉くなつてゐるのだ――と、まあ、かういふ調子でやつゝけてゐる。
プルウスト  (悲痛な面持で)ジャック!
グランジュ  が、しかし、それはまあ、君の心尽しとして、公には、有りがたく思つ
前へ 次へ
全23ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング