たゞしい家人の足音に、部屋着を肩にかけたまゝ、アンリイの寝室に飛び込んだ。彼はもう口を利かなかつた。彼女は一生に一度、ほんとうに泣き狂つたと伝へられてゐる。
 彼女は舞台を退く決心をした。が、一年後、亡き情人の自伝劇「裸体の女」を提げて再び巴里の舞台に現はれた。

 フランスワ・ポルシェは、古典的な気品と、浪漫的な情熱と、近代的な冥想とを併せ備へた新進劇詩人である。
 彼が今日の位置を築き上げ、逆つて、その進路を見出したについては、甚だ興味あるエピソオドが伝へられてゐる。
 彼はもと抒情詩人である。欧洲戦争中、マルヌの勝利を歌つた彼の詩が、ソルボンヌで行はれた戦勝祝賀会席上で、コメディイ・フランセエズの花形シモンヌ夫人によつて朗読された。聴衆の熱狂的拍手に涙ぐむまで胸を躍らした青年詩人ポルシェは、満腔の感謝を捧ぐべく直ちにシモンヌ夫人を訪れたのである。
 彼女は親愛な弟に送る微笑を以て彼を迎へた。そして彼女は云つた。
「いゝえ、それは、あなたの詩が人を撃つ力をもつてゐるからです。あなたの詩から受ける感激は美しい戯曲のもつ魅力です。あなたが劇をお書きになれば、きつと佳いものができるでせう
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