苦痛と屈辱とを味つた。そして、この苦悶の中から、この惨澹たる生活の中から、傑作「人間嫌ひ」を生み、「妻を寝取られる妄想」を生み、「ジヨルジユ・ダンダン」を生んだのである。彼が美しい女優を妻にしなかつたら、仏国戯曲史から少くとも三つの名作が減つてゐたらう。
モリエール一座に、シャンメエレといふ女優がゐた。その容姿について伝へるところは少いが、悲劇の女主人公として当代並ぶものなき名優であつたらしい。モリエールの許に出入する若い詩人のうちに、ジャン・ラシイヌがゐた。モリエールとシャンメエレとの関係は詳かでないが、ラシイヌは、シャンメエレに眼をつけた。悲劇作者として当然のことであるが、その当然さは、彼女をモリエール一座から奪ひ取つて、別の一座を組織させるに至つて甚だ当然でなくなつた。やがて悲劇「アンドロマアク」は、名女優シャンメエレの手によつて空前の成功を収め、ジャンをして一躍十七世紀に於ける大作家の名を成さしめた。モリエールはラシイヌと絶交した。ラシイヌとシャンメエレとの関係も長くは続かなかつたらしい。天才ラシイヌは、これまた稀代の恋愛師であつた。
下つて十八世紀になる。ラシイヌの恋
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