れが総ての新劇運動を指導する精神たれと云ふのではない。運動の方向は、それぞれ異つた目標をもつてゐても、演劇を演劇たらしめる要素の新しい利用、発見、創造がなければ、それは、決して新劇運動とはいへまい。この気魄の欠如が、今なほ、わが国の新劇を不振ならしめ、未来なきものにしてゐることを更に繰り返しておかう。

       四

 近来、わが新劇壇は、目前の窮境打開策として、「面白い芝居」とか、「芸術的で同時に大衆的な舞台」とかいふ標語を持ち出してゐるやうだから、凡そ「純粋演劇」の運動とは縁が遠いやうに思はれるが、しかし、私は、それでも一応、次のことが云ひたいのである。つまり、彼等の所謂「面白い芝居」が、ちつとも面白くなく、「芸術的で同時に大衆的」と称する舞台が、芸術的でもなければ大衆的でもない事実は、誠に皮肉を通り越して、やや悲惨であるが、何故にさういふ結果を招いたかについて、恐らく、一般に認識を誤つてゐはしまいか。
 当事者は考へる――「これほど面白いものが、どうして受けないのか。多分、はじめから、新劇は面白くないものときめてかかつてゐるからだらう」
 また、或は、「これほど大衆的なもの
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