たそこへやつて来てゐるのである。
暇つぶしといふわけでもないが、私は、部隊長の許しを受けて、この老婆と、その孫と称する捕虜に少しばかり口を利いてみることにした。
通訳の支那人は、以前やはり捕虜となつて帰順した兵隊なのださうだが、どこで覚えた日本語か、それを訊いてはみなかつたけれど、相当地方訛りのひどい敬語ぬきのあつさりしたものであつた。
「お前の孫だといふのは、たしかにほんとだらうね」
「ほんたうだ」
「軍隊と関係はないといふが、そんなら、何の商売をしてゐたのだ?」
「家は元来呉服屋だつたのだが、あれの親の代に失敗して、今は薬屋をしてゐる。あの子は徐州の薬学校に通つてゐて、事変後、こゝへ帰つて来てゐたのだ」
婆さんの返事を待たず、そこへたかつて来てゐる村の連中が、やかましくそばから口を出す。
私は、それらの連中がどうしてさうお節介なのかと思ひ、やゝ茫然としたが、もう一人の通訳にその捕虜をこゝへ連れて来るやうに頼んだ。
孫の姿をそこにみて、婆さんは取縋るやうに片手でかばひながら、再び私の方に向つて手を合せ、ぺこぺこと頭を下げた。
「お前に訊くが、どうしてクリークのなかなぞへ隠れてゐたのか?」
捕虜は、この問ひに答へて、
「もう逃げられないと思つたから」
「日本軍はそんなにこはいと思つてゐたのか」
「かねがねさういふ噂を聞いてゐたし、自分は日本のことをなんにも識らなかつたから、なほどうしていゝかわからなかつた」
「匿した銃を自分で持つて来たといふ以上、お前はやはり日本軍に抵抗するつもりだつたのだらう?」
「いや、あの銃は一緒に逃げた兵隊が、クリークの中へ投げ込んで行つたのを見てゐたから、それを拾ひあげたまでだ」
「さうではなからう。そんなら、どうして軍隊手牒を首にさげてゐたのだ?」
「あれは、たゞ自分の隠れてゐた場所に落ちてゐたのを、自分のにされてしまつたのだ」
すると、そばで今まで黙つて立つてゐたもう一人の通訳が、この男の家は阿片を商売にしてゐるのだと私に囁いた。その言葉に私は心でうなづいた。ある病的な、朦朧としたところをその男のすべてに感じてゐたからである。
この問答をさつきから聴いてゐた小川部隊長は、その時、老婆に向つてはじめて声をかけた。
「これはお前の孫かも知れんが、きつとお前を大事にしない孫だらう。平生の心掛けもわるいにきまつてゐる。とにかく、日本軍が来たら逃げるといふことは、どこか怪しいところがあるからだ。かうして捕へられてもしかたがないではないか」
婆さんはそれに対して、返す言葉はないといふ風に、たゞ「どうか命だけは助けてやつてくれ」を繰返すばかりだ。部隊長は更にその男に向ひ、
「お前にはこのお祖母さんの心配がわかるか? 日本の兵隊は、深い親心に免じて、お前のやうな間違つたことをした人間でも赦すこともあるのだ。ともかく今度だけは、お前のからだをこのお祖母さんに預ける。こんなにお前を可愛がつてゐる年寄を決して粗末にしてはならんぞ。それから、日本軍のほんたうのところがわかつたうへは、お前こそ、第一に、日本軍のために尽さなければいかん。約束をしておくが、万一、支那兵がこの土地へはひつて来たら、すぐ日本軍の方へ知らせて来い」
祖母の胸へ押しつけられて、その青年は、夢をみてゐるやうな眼つきをしながら、ふらふらとその場を立ち去つた。
「怪しい奴です。しかし、たいして危険な代物でもない。あれでいゝでせう」
部隊長は、私の顔をみてさう呟いた。
橋梁破壊作業は、日が暮れてもまだ終らない。私は同夜、桂班長と一緒に県長との招宴に出席しなければならないことになつてをり、小川部隊長も、それを知つてゐて護衛をつけるから先に帰れと勧めてくれたのだが、最後まで部隊の行動を見たいと思ひ、そこに踏み止まつた。
その代り、部署をもたない兵隊諸君の溜りへ顔を出して、お互の間に交される雑談に耳を傾け、二三の人々にその日の感想を聞くことが出来た。しかし、改まつた問ひに答へることは彼等には困難とみてとり、私はつとめてさりげなく話を運んだ。
兵隊はみな若くて元気で、その上、生粋の都会児ばかりであつた。
「そしたら、おめえ、鉄兜の縁がぴよこんとへこんでやがんのさ」
「隊長殿が、おれのそばへ寄るな、離れろ離れろつて云はれるぢやねえか。あゝいふ時は、つい間隔のことは忘れて、みんな隊長の方へかたまつて行くだらう。妙なもんだなあ」
「あゝ、腹がすいた。おい、あの豚はどうだ。うまさうでやがら、畜生」
といふあんばいの会話しかいま私の頭には残つてゐないが、この数刻を農家の庭の乾草の山の上で過した印象は、私には決して縁遠いものではなかつた。
軒先に蹲り、外の光を惜み惜み、なにか繕ひものをしてゐた一人の老婆が、その飼豚のちよこちよこと庭先へ出歩くのを、まるで犬か猫かを呼ぶやうに時々顔をあげて呼ぶと、それがまた馴らされた犬か猫かのやうに、小さな尻尾をふりふり足もとへじやれつく光景は、どうも腑に落ちぬ手品のやうなものであつた。
命令はまだないけれども、どうせこの分では夕食の準備をしなければなるまいと、将校の当番たちが気を揉んでゐる。と、やがて、主計から、鶏と卵を買ひに行けと命令が伝はつて来る。それといふので、兵隊たちは腰をあげた。
「道を迷ふな」
「銃を持つてけ、銃を」
「懐中電燈はないかなあ」
「えゝと、うちはいくつあればいゝんだ?」
さういふ声が、もう、薄暗がりのなかに消えて行く。
しかし、作業は間もなく終つてしまつた。
集合、行軍隊形の編成、出発。
住民の一人を道案内として、部隊は軍工路を目標に凱旋だ。
とは云ふものゝ、この闇は、実のところ、われには不利な条件で、敵の乗ずべき好機なのである。
道らしい道はすぐに尽きて、例の畔道伝ひである。少し広いところに出たと思ふと、片側はクリークになつてゐて、足をすべらしたらそれまでだ。一列側面縦隊の、前も後ろも見分けのつかぬなかで、時々、ばたりと誰かの倒れる気配がする。
私は部隊長の後ろにゐたつもりだが、いつの間にかだんだん追ひ越され追ひ越され、つひに話しかけた後ろ姿の対手は人もあらうに例の捕虜であつた。
道がやゝ平らになり、ほつとして足もとをみると、すぐ眼の下を黒々と水が流れてゐる。驚いて一足あとへさがつた。
「大丈夫ですか? お疲れになつたでせう」
今井君らしい声である。そんなにふらふらしてゐるか知らと思ふ。
空がぽつと明るくなつたらしい。眼に冷やりとしたものが感じられる。いま、大きなクリークに沿つた道を歩いてゐるのである。岸に楊柳の並木が立ち並んでゐる。
足の痛みも、喉の渇きも忘れるやうな、ある無感覚の状態にときどきはひる。自分が歩いてゐるのだといふことさへ意識しない瞬間である。
灰色のビルディングが眼に浮ぶ。その前をすうつと通り過ぎてゐるのだなと頭のしんで考へながら、それがどこなのかわからない。美しいその建物のファサアドが、月光を浴びたやうに輝いてゐるのに気がつく。ふと我れにかへる。ビルディングと思つてゐたのは、楊柳の幹の間から、星空を映すクリークの水面であつた。
先頭が止つた。渡し場へ着いたのである。向う岸から女の声で、
「わたし待つてゐたよウ、ほかのひと家へ帰つたけれど、わたし一人、みなさんの来るのを待つてゐたよウ」
例の上海の女が、カンテラを片手に船を滑らせてやつて来るのである。
「ほう、感心々々」
と、小川部隊長は、はじめてみるこの変り種を、私がさうであつたやうに、また意外千万だといふ風に見あげ見おろした。私は今朝のことを説明した。
「懐しいんだな、奴さん」
日本兵を満載した船を、かうして甲斐々々しく操つて行く女の姿は、まことに、今日の戦場の奇観であつた。
軍工路守備隊からやつと自動車で、楊州の本部宿舎へ着いた時は、もう十二時を過ぎてゐた。
こゝで云ひ忘れてはならぬのは、今朝、名誉の負傷をした内田軍曹の消息である。その後、戦闘中止と同時に後方へ運ばれた同軍曹は、腹部貫通銃創が奇蹟的に腸を外れ、軍医も生命に異常なしと宣言した。隊長はじめ本部の一同は、軍曹並に小川部隊のめでたき武運のために盃をあげた。
大熊部隊長の巡視
翌日は、大熊部隊長が○○からこの地区の巡視に来るといふので、本部一同とともに私も鎮江まで迎へに出る。
警備隊専属の○○船で揚子江を横ぎり、その船でまた大熊部隊長の一行を運んで来るのであるが、途中、十二※[#「土へん+于」、第4水準2−4−61]といふ有名な塩の集散地で、同時に、地区隊の一部が守備してゐる地点に立寄り、更に、そこから北は天津まで通じてゐるといふ大運河を遡つて楊州に還り着く予定である。
前にも述べたとほり、大熊部隊長は私の同期であるが、三十年近くお互にはなればなれになつてゐたのだから、かういふ場所で整然たる公式の儀礼のなかに立つた彼の堂々たる部隊長振りをみることは、私にとつては感慨にたへないものがある。
発動汽船は蘆の密生した洲の間をぬけて河を上つた。
「この蘆で紙を作る計画があるんですが……」
と、小川部隊長が説明する。
「この辺は景色がいゝね。あれが金山寺の塔か」
と、大熊部隊長は遠ざかる岸の方を振り返る。
昨日の討伐の話が出る。
「ひとつ、軍旗を奉じて大々的にやりたいですな」
と、小川部隊長が腕を撫するやうに云ふと、
「うん、だが……」
相手が相手ではと、大熊部隊長の顔は答へてゐる。
「あゝさう云へば、○○が戦死した」
と、大熊部隊長が想ひ出したやうに云ふ。
「あ、さうでした。残念でした」
と、小川部隊長が悲痛な面もちで応へる。二人は、それだけで、この共通の大きな損失について同じ感情を解し合ふ如くであつた。
十二※[#「土へん+于」、第4水準2−4−61]の港へ着く。
数百万貫といふ塩の袋がうづ高く岸の広場に積んで並べてある。壮観ともいふべきこれら小山の連続は、ところどころ黒焦げになり、敵が退却に際して焼き払はうとした跡が歴然としてゐる。
この町は塩で生活してゐる町なのだが、今は、塩を売買するものがゐなくなり、それを運搬する苦力だけが残つてゐるのである。もちろん、この物資は敵産として目下処分されつゝあるのである。今考へると、この塩の停滞が中支一帯に最近の塩饑饉を現出したものであらう。現に、私の知つてゐる限りでも、九江附近の農民は、一握りの塩を得るために豚数頭を提供して惜まないといふ状態であつた。
しかし、もう、この塩が日本軍の手によつて地方にばら撒かれる段取りがついてゐるとのことである。
この土地の守備隊で話をきくと、一般住民の塩にたいする執着は怖しいほどで、雨が降ると、いち早く集積場の周囲へ流れ出る塩水をしやくひにやつて来る。また、歩哨の眼を掠めて塩の袋を盗み出すものがある。見つけ次第、歩哨は容赦なくぶつ放す。盗人は袋をかついだまゝ倒れる。すると、何処からか数人の人影がばらばらと現はれ、その袋の奪ひ合ひがはじまるのださうである。
一つの塩の山が崩されつゝある。恰度蟻がたかつたやうに苦力がうようよしてゐる。袋を二つづゝ肩にのせて検査所まで運ぶ。そこからはトロッコで桟橋の上を船まで押して行くのであるが、これは若い女の仕事である。
トロッコが通ると桟橋の上に白い筋が残る。そのこぼれた塩をねらつてゐるものがある。看守が見張つてゐてなかなか近づけない。
美しい結晶体の岩塩である。色のどす黒いのもあるが、大きな塊になると拳ぐらゐのがあつて、舐めてみるとちつともあくがない。支那人は海の塩よりこの方を珍重するといふことである。
さて、そこの巡視を終つて、一行はまた船に乗り込んだ。瓜州といふところからいよいよ隋の煬帝が作らせたのだといふ世界第一の運河にさしかゝる。幅は百米から二百米ぐらゐの大クリークである。堤防の上を曳き船の綱を肩にして、前こゞみにゆるゆると歩く人々の姿も長閑であるが、なによりも、この満々たる水の流れの静かさ! 一望千里の平野を点々と綴る楊柳の刷毛で塗つた
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