「あゝ、さうか、あんたの御主人が日本人で、船の会社をやつてゐるんだね」
「いえ、さう、わたし、一と月前にこゝへ来た。またすぐ上海へ帰る。戦争困つたね」
「ふむ、さうすると、あんたの両親の家が此処にあるわけだね」
「わたし、一人、こゝにゐる。誰もゐない。旦那さん死んだ」
「おや、さうか。なんだかわからなくなつた」
 今度は私の方が笑ひにまぎらして、この女との会話を打ち切つた。
 ほゞ揃つた時分を見計つて、桂班長は、小高い土くれの上に立ち、一同をその前へかたまらせた。五六十名もゐたであらうか? クリークの渡し場附近には、まだ老人達が五六人、素知らぬ顔をして立ち話をしてゐる。
 桂班長は、努めて威容を示すといふ態度で徐ろに口を開く。お得意の北京語はこゝでは十分に通じかねるため、傍らにやはり通訳をおき、ところどころ、その通訳が土地の言葉で云ひ直すといふやり方であつた。
 予め刷り物にしてある堂々たる宣言文が、ほゞ、そのまゝの形で伝へられるらしく、村民たちは、首をかしげて一語一語に聴き入つてゐる。こゝでもまた意外に活溌な反応をみせる群集の特異な性格をみることができた。が、最もお世辞のいゝ聴き手の一人は、あとで調べてみると、大工であつた。この男は、これからこの部落に自警団を作るについて進んでこれに加はるものはないかといふ桂氏の声に応じて、まつ先に一歩前へ進み出た。そして、あとは誰れかれと自分で物色して立ちどころに団員を任命した。「おれはからだが弱くて」と尻ごみをするらしい一人の青白い男も、しぶしぶ仲間入りをした。
 さて、これらの自警団員は、今から手分けをして、わが軍の布告ビラを辻々へ貼りに行くのであるが、再び此処へ支那兵が侵入して来た時、果して如何なる処置をとり得るか、治安工作の眼目はこゝにあるのである。
 解散はしたが、その場でうろうろしてゐるものが多く、子供を連れた母親など、演習に来た兵隊を見物するやうに、われわれのまわりを立去らうとしない。当番の今井君は、一人の女の腕に抱かれた赤ん坊の手に、雑嚢から角砂糖を出して握らせた。赤ん坊はそれをすぐに口もつて行かうとしない。そばに立つてゐるその姉らしい八九歳の少女が、今井君の次ぎの動作を見守つてゐる。今井君は、これにもひとつ与へた。少女は、こわごわそいつを舌の先で舐めてみた。そして、急に、母親の顔を見あげ「タン、タン」と、驚きと羞みを交へた調子で告げた。「お砂糖だ」の意味であらう。すると、それをみてゐた別の女が自分の子供にもやつてくれと傍らの少年を頤で指す。今井君は、まだあつたか知らと云ひながら雑嚢を探つたがもう一つも残つてゐない。首を振つてみせると、母親と子供は恨めしさうに後ずさりをした。
 急にまた銃声が盛んになりだした。しかしそれはもう可なり遠くであつた。喬野の攻撃がはじまつたなと、私たちは本部の後を追ふことにし、クリークの渡し場の方へ歩いて行つた。そこに一軒の茶店がある。老人が私の姿をみかけると、奥から盆に茶をのせて持つて来た。そして、同じ土瓶から別の茶碗に注いだお茶を自分で先づ一口のみ、毒見をしてみせるのである。心得たものだと思ひ、私は、ふんふんとたゞうなづいて、船のあるところへ降りて行つた。両岸へ綱を渡し、それを手繰るやうにして船を滑らせて行く、あの式である。向う岸へ着くと、そこに掘つてある散兵壕のなかに、敵兵の死体がひとつ、俯伏せになつてゐた。頭を奇麗にチックで分け、色の生白い、インテリ風の兵士であつたが、額を射たれ、片手で傷口を押へたものらしく、左手にべつとり血がついてゐる。帽子が落ちてゐる。服は便衣であるが、帽子は正規兵の青天白日の徽章をつけたものである。
 支那軍は味方の死体を運ぶ暇がない時でも、その銃器だけは必ず取りあげて行く。こつちも敵の死体の身につけた弾薬はそのまゝにはしておかない。背負袋にはまだ相当の弾薬が残つてゐる。おまけに、「如意香」といふ化粧クリームの小罎が一つころがり出たのには、わが兵隊諸君も唖然として顔を見合はせた。
 その時、右手にあたつて、高く煙のあがるのが見えた。右翼隊が敵の陣地を占領したものと判断し、それなら、これをまつすぐに行くと、敗走して来る敵にぶつかるなと、うろ覚えの地図を頭に浮べてみたが、なんとも見当がつかぬ。まゝよといふわけで、砲兵隊の敷設した地上の電線を伝ひ、部落のなかを抜けて行つた。こゝは流石に敵陣地の内部だけに、住民の動揺は甚だしかつたものとみえ、戸毎に荷物を外へ運び出して逃げ支度をしてゐる。恐らくからだゞけで逃げたものが大部分なのであらう。積みあげた家財道具の上に子供を坐らせ、その下にぼんやり蹲つてゐる老婆もあつた。道ばたの家を一軒々々のぞいてみる。逃げおくれた、或は逃げてもしかたがないと思つてゐるらしいいくらかの家族が暗い部屋の隅に、ひと塊りになつてぢつと入口の方を眺めてゐる。人の気配で悸える風もみえない。却つて、それをしほに起ち上つて片づけものなどしはじめる中年の女もある。笑顔をもつて迎へる用意はまだできてゐない。たつた一軒、急造の日の丸を軒先に掲げてゐた家がある。敵兵の死体もいくつか目につく。自分で傷の手当をするためズボンを脱ぎかけたまゝ呼吸絶えたらしい、さういふ死との格闘の生々しく想像される姿は、わけても眼をそむけたくなる。が、それも次第に馴れて来ると、手を伸ばせば触れるやうなこれらの事物が、悉く、戦場にある自分といふものゝ単なる心理的遠景としてぼかされてしまふのである。
 今井君は銃に着剣して私のそばについてゐてくれ、私も万一の用心に拳銃を手に握つてはゐるが、どうも芝居じみてゐるやうな気がしてならぬ。油断といふのは、かゝる自意識の驕慢な不覚を指すのであらうか?

     二人の俘虜

 喬野に突入した部隊の主力は、更に敵を追つて五又港の陣地に迫つてゐるらしい。
 喬野といふ部落は、相当大きな部落で、その中央にクリークがあり、これに渡してある橋は船の通る部分だけ取外すことができるやうになつてゐる。
 敵はこの橋梁を破壊する暇がなく、その代り最後までこゝで抵抗を続けたのである。
 私たちがこの部落にさしかゝつた時は、味方の砲弾が時々頭上を超えて飛ぶ唸りが聞えるだけであつた。
 橋の上から左の方を見ると、クリークの幅がぐつと広まり、湖のやうになつてゐた。地図をみると、やはりそれは愛菱湖といふ名がついてをり、例の邵伯湖の一部なのである。
 狭い通りの両側は、何れも小さな田舎町の店であるが、もちろん戸を固く鎖した家が多く、たまにひよつこり顔を出す男などがあると、こつちがギヨッとするくらゐである。
 人家か疎らになり、乾田がまた続く。路ばたに一人の若い男がその父親らしい老人を背負つたまゝ腰をおろして休んでゐる、休んでゐるといふよりもへたばつてゐる恰好である。恐らくみなと一緒に逃げるつもりで此処までやつて来たのだけれども、もう脚がつゞかぬといふわけなのであらう。
 さういへば、私も可なり疲れてゐる。もうどれくらゐ歩けばいゝのかと思つてゐると、向うから伝令がやつて来て、部隊本部はすぐに喬野へ引上げて来るから、そこで待つてゐるやうにとのことであつた。
 空が美しく晴れて、野の花がそここゝに咲いてゐることにはじめて気がつく。
 私はしばらくそこに立ち止つた。うらゝかな秋の日ざしに蘇る田園の風景が、常にも増して心に沁みる。なぜかこの時、我が家の庭の木犀の香ひを想ひだした。
 やがて、小川部隊長を先頭に、本部の一隊がこつちへ帰つて来るのがみえる。私は、思はずそつちへ歩きだした。何よりも隊長以下の無事をよろこぶ気もちであつた。その時隊長に向つて私はなんと云つたか、今は記憶にない。たゞ、こつちの損害はどれくらゐであつたかを訊ねたことだけはたしかである。
「一人やられたきりです。あゝ、さう云へば内田軍曹はもう駄目だらうな」
 と、小川部隊長は傍らの誰かに云つた。
 誰も返事をしない。で、私は、
「腸を外れてゐさへすればいゝんだが……」
 と、ひとりごとを云つてしまつた。
「今日は案外手間どりました。おまけに、はじめと少し計画を変へたもんだから、あなたをとんだ目に遭はせてしまつて……」
 隊長は笑ひをふくんで私を顧みた。
「いや、却つて得難い経験をしました。それにしても、弾丸はなかなか中らないもんですね」
「さうでせう、敵は狙つてなんぞ射つてはゐません。だから、弾丸がみんな高い。馬に乗つてゐてさへさうです。だから、弾丸が低くなつて来れば、それに応じて姿勢を低くすればいゝ。これは馴れないとわかりません。たゞ、わたしがマントを着てゐたもんだから、馬からおりると弾丸が集つて来た」
「さうですか。僕もマントを着てゐましたが途中で脱ぎました」
「まつたく済まんことをしました。万一のことでもあつたらと心配しましたよ」
「そんなご心配はいりません。が、僕も始めからこんなこともあらうかと覚悟してゐました。ところで、兵隊はなかなかみんな勇敢ですね。頼もしい気がしました。かういふ戦《いくさ》だから、却つて隊長は気をおつかひになるでせう。まるで演習そつくりぢやありませんか」
 私は率直に感じたことを云ふと、
「今日はわたしは直接に指揮はとらないつもりでしたが、つい情況がさうさせたのです。こゝでは、教育しながら戦《いくさ》をするといふ立前を厳格に守つてゐます。それでなければ長い戦争には勝てません」
 本部の一行のなかに、後ろ手にしばつた捕虜を二人連れてゐる。
「これは兵隊だといふことはたしかなんですか」
 私は、その捕虜の綱をもつてゐる兵士に訊ねた。
「はあ、たしかであります。そこのクリークの中へ首だけ出して匿れてゐたのを見つけたんであります。便服ですし、はじめどうしてもほんとのことを云はなかつたですが、しまひに自分で匿した銃の在りかを教へました。それと首に軍隊手牒をぶら下げてゐましたから、もう間違ひはありません」
 それから、一人の将校が、
「敵の逃げる時はきつと住民も一緒に逃げるもんですから、後ろから射撃するのにとても厄介なんです。住民を殺すまいと思ふと、つい敵を射ち損ひますから……」
「だから、かういふ部落で宣撫をする時は、日本軍が攻めて来ても、決して支那兵と一緒に逃げてはいかんと云ひふくめておきます。逃げる奴は命の惜しくない奴だ」
 隊長はさう附け加へた。
「今日の戦果はどうでしたか?」
 私は訊ねた。
「えゝ、まあ、大体……」
 と、隊長は、敵を追ひ払つただけでは満足しない様子であつた。
 喬野部落にさしかゝると、一人の老婆がおいおい泣いてゐて、その傍らに二三人の男女が声をひそめて話し合つてゐる。通訳がわけを訊くと、その老婆の家が今焼けてゐるのだが、それは日本兵のやつたことか支那兵のやつたことかわからぬと云ふのであつた。
「日本軍は決してそんなことはしない。少くとも今こゝにゐる日本の兵隊は、罪のない住民の家を焼き払ふやうなことはないのだ。多分、支那軍が弾薬庫にでも使つてゐて、逃げる時に火をつけて行つたのだらう」
 隊長のその言葉は老婆の耳へははひらない。手ばなしで、それこそ子供のやうに、涙を流して泣き喚くばかりである。
「こつちの砲弾はこのへんに落ちるわけはないし、いつたいどこの家だ?」
 住民の宣撫といふことに心をくだいてゐる隊長は、かういふ訴へを聞き流しにできぬとみえ、その燃えつゝある家の前に立ち寄つて、中をあらためさせた。
「敵の大隊本部にでもなつてゐたのかな」
 さういふ目的に使用された家屋は、将来のために焼きすてろといふ秘密命令でもでゝゐるのか?
 骨組だけが残つて、内部はまつたく形をとゞめぬくらゐ丸焼けである。ポンとなにかの破裂する音がした。
「危いぞ。気をつけろ」
 誰かゞ注意した。中にはひつて行つた兵隊が靴を真つ黒にして出て来る。臭い臭いといふ顔をし、なんにもないと首を振つてみせた。
「それぢや、災難として、いくらか婆さんに見舞をやつとけ」
 と、隊長は、主計に命じてゐた。
 本部の休憩所がきまり、昼食の支度である。
「あな
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