、この問題の解決が如何なる方法で望みどほりに達せられるかといふ点になると、もはやそこには現実的な悩みがあるだけである。つまり、少数のものゝ誠意と努力が、多数のものゝ無自覚と妄動のために、片つ端から無駄にされつゝあるといふことを先づ考へなければならない。
戦争の最中だから仕方がないといふ見方も、実際論としては私も肯定する。しかし、習慣はそこからはじまるのであつて、為政者は、今度の事変の特殊性を考へたなら、対外的宣伝ばかりでなく、より以上国民自体の戒飭に乗り出すべきである。出征将士の艱難辛苦も銃後民衆の生活緊張も、ともに国を愛し、国を憂ふる赤心の発露だとすれば、それと同様に、われわれが支那人を遇する道に誤りなからんことを期するのも、日本人として、やはり祖国に対する忠節の誠であると考へて差支ないのである。
ある人は云ふ――日本人と支那人とは気質的に相容れぬ民族であるから、互に反撥するのは当然であると。支那を識り日本を識る欧米人のいくたりかもこれに類する判断を下してゐるやうだが、それがたとへ真実の一部を伝へてゐるにもせよ、決して全部ではないと私は断言して憚らぬ。
気質的に相容れぬ民族は、日本と支那ばかりではない。それが利害の一点で結びつく例はもちろん多いし、さうでなくても、両国の文化交流といふ現象を通じて、民衆的な交歓が行はれてゐる場合が少くない。
日本と支那とは、単に自己を以て他を律することの弊を悟りさへすれば、各々その長所を認め、固有の伝統と風習を尊重し、われの足らざるを彼に求め、両々相犯さざる善隣の誼みを保ち得ない理由はないのである。
私は、一方的に、日本人の優越感なるものが往々支那人の自尊心を傷ける場合が多いやうに思つてゐたが、今度いろいろな点を観察してみて、やはり、それと同様に、或はそれ以上に、支那人の優越感が日本人の自尊心を煽つてゐた事実をつきとめることができた。
民族的自尊心といふものは、どんな民族にでもないことはない。たゞ、その現はれ方が実にまちまちなのである。一口に優越感と云つても、これまた非常に主観的なものであつて、日本人がもつて矜りとするところと、支那人が秘かに高しとするところは、殆ど比較することさへ困難なやうな性質を帯びてゐるのである。つまりは文化又は文明の質の相違である。この問題を論じだすとなかなか大事業だが、私がこゝで云はうとすることは、前にも述べたやうに、自己を以て他を律する癖が双方にあり過ぎて、不必要な感情的摩擦が繰り返されてゐるのではないかといふことである。
血族を同じくする個人と個人との間でも、心から手を握り合ふといふことがさう易々とは行はれないところをみても、民族と民族とが終始一貫友情の固きを示すといふことは、事実、どんなに空想に近いことかは、云ふまでもないことである。しかし、それが東洋平和の根本的基礎であるとすれば、両国民は、是が非でもこの空想を実現させなければならないのではないかと思ふ。
恐らく、この事変の終末に於て、両国の政治的結合がある形に於て達成されるであらう。経済的利害の一致点も発見し得るとみて差支なからう。しかし、それだけの関係なら世界の歴史を通じて、いろいろな時代に、いろいろな国家と国家、民族と民族とが、同盟或はそれ以上の形式のもとに、相倚り相助け合ふ協同の態勢を取つたことが屡々あるのである。しかし、さういふ態勢は、国際間の微妙な動きにつれて、何時崩れないとも限らないのが、これまた歴史の物語るところである。日支間の関係は、さういふ脆弱なものであつてはならないのである。ところが、日支間のこれまでの関係をみると、他の如何なる民族間に於けるよりも、不確実で、デリケートな感情の起伏が、国民と国民との間に作用して、一層、国家間の全面的な協力が妨げられてゐた形跡が歴然としてゐるやうに思ふ。こゝに於て、両国の民衆の不幸は、各々の民衆の、「人間的」自覚が遅かつたといふことに重大な原因があるのではないか、と私は率直に両国民の反省を促したいのである。
平和のための戦争といふ言葉はなるほど耳新しくはないが、それは一方の譲歩に依つて解決されることを前提としてゐる。ところが今度の事変で、日本が支那に何を要求してゐるかといふと、たゞ「抗日を止めて親日たれ」といふことである。こんな戦争といふものは世界歴史はじまつて以来、まつたく前例がないのである。云ひかへれば、支那は、本来望むところのことを、武力的に強ひられ、日本も亦、本来、武力をもつて強ふべからざることを、他に手段がないために、止むなくこれによつたといふ結果になつてゐる。かういふ表現は多少誤解を招き易いが、平たく砕いて云へばさうなるのである。支那側に云はせると、日本のいふ親善とは、自分の方にばかり都合のいゝことを指し、支那にとつては、不利乃至屈辱を意味するのだから、さういふ親善ならごめん蒙りたいし、それよりも、かゝる美名のもとに行はれる日本の侵略を民族の血をもつて防ぎ止めようといふわけなのである。実際、これくらゐの喰ひ違ひがなければ戦争などは起らぬ。そこで、事変勃発以来、日本の朝野をあげて、われわれの真意なるものを、相手にも、第三国にも、亦、自国々民にも、無理なく徹底させ、納得させるやうに努めて来、また現に努めつゝあるのであるが、問題がやゝ抽象的すぎるために、国民以外の大多数には、まだ善意的な諒解が十分に得られてゐないやうである。
これは考へてみると、わからせるといふことが無理なのである。なぜなら、日支の間に如何なる難問題があつたにせよ、それが戦争にまで発展するといふことは常識では考へられない。すなはち、民族心理の最も不健康な状態を暴露してゐるわけで、そのうへ、両国の為政者自らが、それに十分の認識があつたかどうかは疑はしいからである。戦争になつたことを今更かれこれ云ふのではない。戦争がさういふ危機を出発点とすることはあり得るし、戦争によつて、何等か打開の道が講ぜられる期待はもち得るのであるけれども、この事変の目的とか、性質とかを吟味するに当つて、これを意義ある方向へ導くための国家的理想と、その現実的な要素を分析した科学的結論とを混同することによつて、事変そのものゝ面貌があやふやな認識として自他の頭上に往来することは極めて危険である。
欧米依存と云ひ、容共政策と云ひ、支那の対日態度をそこへ追ひ込んだ主要な原因について、支那側の云ひ分に耳を藉すことでなく、日本自ら、一度、その立場を変へて真摯な研究を試みるべきではなからうか。私は、こゝで今更の如く外交技術の巧拙や経済能力の限度を持ち出さうとは思はぬ。われに如何なる誤算があつたにせよ、支那に対するわが正当な要求はこれを貫徹しなければならぬ。が、しかし、戦争の真の原因と、この要求との間に、必然の因果関係があるのかないのか、その点を明かにしてこれを世界に訴へることはできないのであらうか?
一見、彼の抗日政策そのものが、われを戦争に引きずり込んだのだといふ論理は立派に成りたつやうでゐて、実は、さういふ論理の循環性がこの事変の前途を必要以上に茫漠とさせてゐるのである。つまり、日本の云ふやうな目的が果してこの事変の結果によつて得られるかどうかといふ疑問は、少くとも支那側の識者の間には持ち続けられるのではないかと思ふ。まして、第三国の眼からみれば、そこに何等かの秘された目的がありはせぬかと、ちよつと首をひねりたくもなるわけだ。こゝにも私は、日本人の自己を以て他を律する流儀が顔を出してゐるのに気づく。
戦争をあまりに道義化しようとして、これを合理化する一面にいくぶん手がはぶかれてゐる傾がありはせぬか。主観的な聖戦論は十分に唱へられてゐるが、客観的な日支対立論とその解消策は、わが神聖な武力行使の真の行きつくところでなければならず、寧ろ、これによつてはじめて東亜の黎明が告げ知らされるのだと私は信ずるものである。
そこで、いはゆる客観的な対立論とその解消策の第一項目として、私は、日支民族の感情的対立の原因の研究といふことを挙げたいと思ふ。事変そのものを挟んで、両国の運命は等しく重大な転機に臨んでゐるけれども、かゝる根本の問題について、なほよく考慮をめぐらす余裕のあるのは、彼でなくして我である。
日本人の力について
予定の日数を経過したので、いよいよ楊州を引あげることにし、私は出発の朝、旅館から部隊本部に出掛けて行つて、小川部隊長以下の諸員に暇乞ひをした。
「もつとゆつくり、いろいろなものを見たり、お話を聴いたりしたいのですが、これ以上、日本に帰るのを延ばすことができませんから、残念ながら、一旦お別れをします。都合がつき次第、もう一度近い将来に、此処へやつて来て、あなた方のお仕事の、一層進んだ成果を拝見したいと思ひます。これは国民の一人として、あなたがたに期待するところが多く、また個人としては、忘れ難い記憶をもつてこゝを去るからです」
さういふ意味の挨拶を述べた後、門前まで諸氏の見送りを受けて、私は桂班長と共に自動車へ乗り込んだ。
桂班長は、鎮江まで送つてくれるといふ。
十月三十日、江南の秋はこれからといふ静かに晴れた朝であつた。
鎮江の部隊本部で預けた荷物を受けとり、九時三十分、上海行の急行に乗る。
わが軍人軍属によつて満たされた二等車の一隅で、私は、今度の従軍の目的がこれで達せられたのであらうかといふ不安な気持を懐きつゞけた。
これらの日本人の壮んな往来が、この支那といふ土地にどんな足跡を残すか。後世の眼がどれほど厳しくわれわれの時代の責任を問ふても、われわれはそれに十分応へるだけの覚悟はしなければならぬ。
そこで私は、現在の日本の力といふものを考へる。楽観とか悲観とかいふことは、もはや問題ではない。ありつたけの力を出しきることゝ、その力の測定を誤らないことゝ、それが最も能率的に使用されるといふことが肝腎である。
ところが、この日本人の力であるが、われわれ国民は、個々の力を自発的にこの事変の面に押し出す方法についてまだはつきりした道を示されてゐないやうである。政府当局は国民の総力を動員すると云つてゐるけれども、物質的な面ではその計画の全貌がほゞ伝へられ、国民一般の決意もこれを中心としてゆるぎなきものとなつてゐるやうであるが、精神的な面では、単に非常時の緊張と愛国心の昂揚といふやうな必然的な現象がみられるだけで、たまたま思想とか文化とかいふ問題がとりあげられても、それは天下り式なお題目に過ぎず、国を挙げての研究実践といふ方向をとつてゐるやうにはみえない。
例へば、対支文化工作の基礎は如何なる知的部門によつて統一され、立案されてゐるのか? そしてまた、その事業の各分野は、如何なる専門的頭脳によつて指導されてゐるのか? 国民知識層一般の与り知らないところに、国と国との精神的接触が行はれてゐるといふ奇怪な事実があつてよいか? 現在のところ、武力を含んでの政治が総てを支配してゐることは当然であるけれども、この事変の特殊な性質からみて、政治が総てを解決するのではないといふ見透しが、政治家自身の口吻のなかにもみえてゐるくらゐである。政治以外の国民の力とは何か? 一口に云へば、為にするところなき日本人の真の姿を支那民衆の心に植ゑつけ、その信頼すべき「人間性」と、彼等と共通の理想を目ざして生きるものゝある実証を示すことである。更にこれを具体的に言ひ換へれば、科学、文学、芸術等の面を通じて、偏見なく支那民衆に働きかけるといふ以外に、支那に渡つていろいろ仕事をする日本人の或るものが、無意識に且つ不用意に日本人の逆宣伝をしつゝあることを厳に警戒すべきである。
このことは、既に以前からみんなが知つてゐてどうにもならなかつたのださうであるが、そのどうにもならないといふところに、私は日本人の力の最も頼りない一面を感じるのである。
民族的な長所美点は、その民族特有の生活と歴史に結びついてゐるものだから、他の民族にこれをその値打相当に評価させることはなかなか困難な場合が多い。
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