人もドイツ人もフランス人も、それぞれその国の人間らしい特色に於て魅力的な存在であるが、実際はさうである場合もあり、また反対に、それがために、他国人から若干の軽侮と反感を買つてゐる場合もあることは周知の事実である。
現代日本人の庶民的風格といふものなどは実に愛すべく親しむべきものであるに拘はらず、欧羅巴や支那のやうな老大国では、その階級に相応しいエチケットがあつて、どうも具合のわるいことが多いといふ話も聞く。
また、一例をあげれば、日本人は外国の旅行先で必ず商売女を漁るといふ風評がある。ほかの国のものはこんなことをたまにしかせぬやうな怪しからん誹謗であると思ふが、私の観察によると、巴里でも上海でも、なるほど、盛り場などで日本人とみると必ず変な女がたかつて来るやうだ。巴里でなら、外国人として目立つからといふ理由もあらうが、上海では、それと反対に、白色の異人の方が彼女らの注意を惹きさうなものである。
私は、これには二つの見方があると思ふ。第一は日本人はたしかにさういふ女に対する興味のもち方がほかの国の男たちと違ふ。事務的であるよりも好奇的である。必要からよりも、話の種にしようといふやうなところがあり、時には、それが旅の風流でさへもある。だから、取引に於て金ばなれがよく、その上わりに大つぴらである。速決主義でない。にやりにやりしながらあれこれと物色してゐるやうに見える。自然、女たちが集り、また日本人がといふ風に廻りのものが注意するのである。第二には、日本人は照れ屋である。公衆の面前でさういふ女に話しかけられることに慣れてゐないから、覚悟はしてゐても、大いに照れる。余計な豪傑笑ひなどをする。照れかくしにぎごちない応酬をする。好い加減にあしらふつもりでも、そつちへ気をとられてゐると人の足を踏む。肩から写真機をぶらさげてゐるから、ひと目で日本人だとわかるのである。
かくして、日本人はさういふ場所で自分を目立たせる結果になつた。わが同胞のためにいさゝか弁ずること以上の如くであるが、私は、この話から、日本人は実にわからせにくい国民だといふ気がしてならぬ。よきにつけあしきにつけ、日本人のやることは、どういふものか素直に受け取られない傾きがある。欧米人はもとより、支那人でもちよつとひやかしたくなるやうなところがあるらしい。兵隊が強いことだけはひやかさうにもひやかせまいが、その埋め合せに、彼等はあらゆる一挙手一投足に難くせをつけかねないのである。
そんなことはちつとも苦にするには当らないと云へば云へる。何時かは彼等にわかる時期があるだらうと、日本人なら云はねばならぬところであらうけれども、支那に関する限り、私は、なんとかしてわれわれが最後までともに手をつなぐべき唯一の国民であることを一日も早く彼等に知らせたい。それがためには、如何なる方法を講じても、両国民に共通の言葉、共通の表現を探さなければならぬ。日本人がよき日本人であり、支那人がよき支那人であるといふことは、最も多くの相通ずる美徳、相容れる性格をもつことだといふ真理を認め合ふことが第一の問題である。
事変は既に建設の時代に入つたといふ。それなら、われわれ国民の力は、そこへ伸びて行かねばならぬ。道を拓くのは何人の手に俟つべきであらうか。
上海租界について
汽車から降りると、私は重いリユックを背負ひ、両手に若干の荷物を提げて長いガードを渡つた。人混みのなかで、義弟の延原が私を探してゐる。それで助かつた。
報道部から自動車を差向けてもらひ、宿を何処かに取らうと思つてゐると、報道部に部屋があいてゐるから泊れと馬淵中佐に勧められ、さうすることにした。飛行機の便を得るまで、二三日は此処で待つてゐなければならぬと聞き、その二三日の利用方法を考へたが、私もさすがに疲れを覚えて、街を歩くのさへ億劫であつた。憲兵隊の通訳をしてゐる私の教へ子、明治大学文芸科の卒業生山崎晴一君のところへ電話をかけると、早速飛んで来てくれた。
この前寄つた時には充分時間を割くことができず、ゆつくり話す暇もなかつたので、何処かで飯でも食ひながら彼の手柄話でも聞かうと思つた。
同仁会病院と憲兵隊、この二つの日本の姿を私は上海といふ都会のなかに描いてみる。例へば、外国租界に巣喰ふ抗日テロリストの眼が何に向けられてゐるかといふことを想像するだけで、現在の上海が日本の如何なる表情にも無関心な、あるふてぶてしい身構へを示してゐるといふ気がする。
英仏租界の人口が事変前よりぐつと増してゐる事実は何を物語るか?
私は山崎君の案内で、英仏租界を昼と夜と二度見て歩いた。日本人の立入りを禁止してもゐないし、どんな場所へ足を踏み入れても別に不安を感じるやうなことはない。白人の店で買物をしたが、店員は普通の客としてわれわれをあしらふことはもちろん、支那人経営の料理屋でも、特にこつちを凝視する眼さへ感じないくらゐである。そのくせ新聞の売子が夕刊を売りつけに来るのを買つてみると、麗々しく反日記事が掲げてある。
「新申報」といふ親日新聞は、この租界ではさつぱり売れないさうである。尤も、民衆が自発的に読まないのではなく、漢奸の名を着せられることを懼れてゐるのだといふ話である。
上海のことはもうだいぶん内地にも知れわたつてゐるから、私は詳しく書かない。たゞ、将来はいざ知らず、今日までの情勢からみて、この都市の解剖こそ、支那事変の複雑な相貌を白日下にさらすものだと思ふ。
所謂抗日テロリストの群はしばらく措き、かゝる直接運動に参加してはゐないが、しかし、もつと先の方を視てゐる支那知識層の個々の動きといふやうなものを、どういふ方法かで知りたいと思つたが、それは今はまだその時期でないやうである。
報告を終るについて
十一月二日、福岡へ飛ぶ。日本の空だなと思ふ瞬間、私はふと胸に熱いものを感じて、窓に顔を押しあてた。
唐津のあたりが眼の下に見える。
入江には漁船が走り、畑は耕され、田は実のつてゐる。裾を引いた山襞の間に、白く光るのは谷川の水であらう。
それぞれに、父を、夫を、兄を、息子を戦場に送り出した家々が、あちこちにみえる。ひと目でそれとわかるのは、時局下のきびしい風景である。しかし、そのきびしさは、豊穣な土地の眺めのうちに溶け込んで、黙々たる微笑の如きものとなつてゐる。
福岡で上りの寝台を求めようとしたら、その日のは無論、翌日の分もすつかり売り切れであつた。そこで、思ひついたのは、私が嘗てゐた久留米の連隊をちよつとのぞいてみたらといふことで、実は、今、その連隊に同期の米良が大隊長として召集されてゐることがわかつてゐたからである。
早速、その当時はなかつた急行電車で、筑後平野を縦断した。
幼年学校を卒業して士官学校へはひるまでの半年と、士官学校を出てから任官後二年を過したこの久留米といふ町は、なにかにつけて想ひ出の多い町であるが、連隊の兵舎も昔ながらの面影を残し、衛兵所の上へ枝をひろげた榛の木にもたしかに見覚えがあつた。
わけても、将校集会所の食堂は、多少趣きは変つてゐたが、もとの場所にもと通りあつて、時の連隊長や連隊附中佐のいかめしい顔がありありと浮ぶやうであつた。
殊に意外だつたのは、その日私を迎へた週番大尉が、以前私の中隊にゐた一軍曹のMであつたことで、それがまた現に米良の大隊の中隊長なのである。
私事に亙るやうであるが、私は、自分の経験した軍隊生活なるものと、今度の文学者としての従軍とを、まつたく切り離して考へる事はできないので、この日の連隊訪問はある意味で戦跡視察の延長のやうなものである。
久々で旧友米良に会つた感想は、しかし、こゝでは述べる必要はあるまい。但し、彼が予備少佐として、戸畑高等専門学校の剣道師範として、そして今また、元の連隊の大隊長として昔ながらの風格と生活ぶりをみせてゐることは実に面白い。私は、かねて啓蒙的な「軍人論」なるものを誰かゞ書かねばならぬと思つてゐる。日本の一般社会は、日本の軍人、つまり、本職の将校が如何に「育てられ」つゝあるかといふことをあまりにも知らなさすぎるのである。
東京へ帰つてみると、街の印象がなにひとつ変つてゐないので安心した。みなわりに朗らかで落ちついてゐる。こんなことではいかんと云ふやうな現象は、表面的にはなにも目にとまらない。戦場に行けば戦場にゐる気分、内地にゐれば内地にゐる気分と云ふのが、最も自然であり、健康であり、そして頼もしい態度なのだと思ふ。油断とか弛緩とかを心配する人もあるやうだが、それはまた話が別なのである。
私は、あるがまゝの日本に、希望と信頼とをもつ。漕ぎ手は揃ひ、船あしは早いのである。舵を誤らざらんことを祈るばかりである。
底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「従軍五十日」創元社
1939(昭和14)年5月8日発行
初出:「文芸春秋 第十六巻第二十一号」
1938(昭和13)年12月1日発行
「文芸春秋 第十七巻第一号」
1939(昭和14)年1月1日発行
「文芸春秋 第十七巻第三号」
1939(昭和14)年2月1日発行
「文芸春秋 第十七巻第五号」
1939(昭和14)年3月1日発行
「文芸春秋 第十七巻第七号」
1939(昭和14)年4月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月21日作成
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