前に外科手術室へ運び込まれた。
巡察中、手榴弾を投げつけられたのである。さう云へば、こゝへ来る途中の辻々の警戒ぶりは厳重を極めてゐた。フランス租界を抜けて車が南市へはひると、街頭は俄に人影をひそめて、一種物々しい戦跡の風景が浮びあがる。屋根は落ち、壁は崩れ、鉄条網を張つた障碍物が横はり、黄浦江の濁流が無気味に白雲の影を呑んでゐる。
若い兵士は手術台の上に横はつてゐる。可なりの重傷である。犯人は何者であらう。これは数日後、憲兵隊で聞いたのだが、捕へられた犯人は二十そこそこの女で、その自白によれば――彼女の夫は党軍の兵隊にとられて戦死した。その夫の兄は、彼女に銀五両と爆弾とを与へて夫の仇を討てと唆かした。彼女は素性をかくすために一巡警と再婚した。そして日本兵の屯する南市の裏町に居を構へ、機会を待つた。その日、日本軍の衛兵所へ、附近の民家で麻雀賭博が行はれてゐる旨を密告するものがあつた。二名の兵が巡察として派遣された。二階の階段を、擦れ違ひに若い女が駈け降りて来た。誰何する暇もなく兵士の小脇を潜つて彼女は階段の下に達した。爆弾がその瞬間、兵士の足下で炸裂したのである。
一方で占領地域の
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