は中国青年の新しいタイプを感じとることはできなかつた。
 通訳も例の神戸仕込の床屋さんであつたといふことはなによりも失敗だが、かういふところに、既にわれわれの観察と判断の限界があることを痛感した。
 試みに私は、彼等の日本に関する知識を質してみた。具体的なことは殆ど頭にはひつてゐないやうである。云ひにくいことはもちろん控へたに違ひない。例へば日本の大学の名前などひとつも挙げられないといふあんばいである。
 浙江大学の文科では、なにを専攻したのかと訊くと、これは通訳の方が怪しいが、「詩文」だといふ返事である。「詩文」といふ科があるのかと重ねて問ふと、「古典文学」だと云ひ直す。
 そこで、筆談で補ひながら、「そんなら、現代文学とか、外国文学とかいふ科もあるのか」と訊いてみた。すると、そんなものはないといふ。このへんから、いよいよ通訳にも筆談にも信用がおけないと気がつき、話題を転じて、
「事変前と今日と君たちは日本に対する考へ方が多少は変つたゞらうと思ふが、どういふ風に変つたか、正直に云つてみてくれたまへ」と、私は切り込んだ。若い方が先づ答へた。
「事変前は、日本についてあまり知らなかつた。
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