は通訳を顧みて、
「どういふことを云ひたいのか、よく聴いてやつてみたまへ」
すると、かういふことが云ひたかつたのである。
「あれは私のたつた一人の孫で、両親もゐないし、平生手許において可愛がつてゐたものだが、軍隊には全く関係がないのだ。たゞ間違つて捕へられたのだから、どうか赦してやつてくれ。見れば服は濡れて、寒さにふるへてゐる。せめて着物を着かへさせてやりたい。あゝしてほうつておくと、それだけで死んでしまふだろう」
それを聞くには聞いたが、私は、なにも意見を云ふ資格はない。
そのうちに橋梁破壊を命ぜられた部隊が、作業を終つたといふ報告があり、小川部隊長は、更に隊長に向つて、破壊の程度をたしかめた。
「いかん。橋脚と橋礎をすつかり取り外さなければなんにもならん。苦力を集めてもつと徹底的にやれ。兵隊はもう疲れてゐるから、たゞ監視だけでよろしい」
部落の中央のクリークに架かつてゐるあの大きな橋のことであらう。
これはどうして大変な作業であると思ひながら、私ものこのこ現場へ出掛けて行つた。
両岸の橋の附け根――即ち橋礎は、堅固に煉瓦を積み上げた本格的の工事で、巾四米、長さ二十米、木造の橋ではあるが、橋脚の丸太は直径一尺に近いものと思はれ、一枚一枚の橋桁を動かすのに、二人ではむづかしいやうな代物である。
住民の男手がまた狩り出された。
鋸と綱を探しに、両隊が四方へ散つた。
一時間、二時間、三時間、この作業は何時果つべしとも思はれず、やがて日が傾き、愛菱湖の水面に靄が浮び、驢馬が悲しげな啼声を立てはじめる。
小川部隊長は、ひとつひとつ倒され、押し流されて行く巨きな材木を眼で追ひ、さつきの戦闘の、所謂死線を越える一瞬を髣髴と頭に浮べてゐるかのやうであつた。
「敵の一部は、そこに繋いであつた船に乗つて湖の上を逃げたんです。こつちが快速艇をもつてゐれば面白いんですがねえ。この前の討伐の時は、丁度この湖の岸沿ひに邵伯鎮といふところをやつたんですが、あの時は船を使ひました。手漕ぎのやつをね。ところが、向うは砲艦を二艘もつてゐましてね、すぐそばまでやつて来て、生意気に撃つぢやありませんか。それを見つけたこつちの砲兵がすぐ応戦したんですが、この海軍、これはまた、逃げ足の早いやつで……」
さういふ話を聞いてゐるうちに、うしろでまたぶつくさいふ声がしだした。さつきの老婆がまたそこへやつて来てゐるのである。
暇つぶしといふわけでもないが、私は、部隊長の許しを受けて、この老婆と、その孫と称する捕虜に少しばかり口を利いてみることにした。
通訳の支那人は、以前やはり捕虜となつて帰順した兵隊なのださうだが、どこで覚えた日本語か、それを訊いてはみなかつたけれど、相当地方訛りのひどい敬語ぬきのあつさりしたものであつた。
「お前の孫だといふのは、たしかにほんとだらうね」
「ほんたうだ」
「軍隊と関係はないといふが、そんなら、何の商売をしてゐたのだ?」
「家は元来呉服屋だつたのだが、あれの親の代に失敗して、今は薬屋をしてゐる。あの子は徐州の薬学校に通つてゐて、事変後、こゝへ帰つて来てゐたのだ」
婆さんの返事を待たず、そこへたかつて来てゐる村の連中が、やかましくそばから口を出す。
私は、それらの連中がどうしてさうお節介なのかと思ひ、やゝ茫然としたが、もう一人の通訳にその捕虜をこゝへ連れて来るやうに頼んだ。
孫の姿をそこにみて、婆さんは取縋るやうに片手でかばひながら、再び私の方に向つて手を合せ、ぺこぺこと頭を下げた。
「お前に訊くが、どうしてクリークのなかなぞへ隠れてゐたのか?」
捕虜は、この問ひに答へて、
「もう逃げられないと思つたから」
「日本軍はそんなにこはいと思つてゐたのか」
「かねがねさういふ噂を聞いてゐたし、自分は日本のことをなんにも識らなかつたから、なほどうしていゝかわからなかつた」
「匿した銃を自分で持つて来たといふ以上、お前はやはり日本軍に抵抗するつもりだつたのだらう?」
「いや、あの銃は一緒に逃げた兵隊が、クリークの中へ投げ込んで行つたのを見てゐたから、それを拾ひあげたまでだ」
「さうではなからう。そんなら、どうして軍隊手牒を首にさげてゐたのだ?」
「あれは、たゞ自分の隠れてゐた場所に落ちてゐたのを、自分のにされてしまつたのだ」
すると、そばで今まで黙つて立つてゐたもう一人の通訳が、この男の家は阿片を商売にしてゐるのだと私に囁いた。その言葉に私は心でうなづいた。ある病的な、朦朧としたところをその男のすべてに感じてゐたからである。
この問答をさつきから聴いてゐた小川部隊長は、その時、老婆に向つてはじめて声をかけた。
「これはお前の孫かも知れんが、きつとお前を大事にしない孫だらう。平生の心掛けもわるいにきまつてゐる。とにかく
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