ス人はドイツの「文化」を指して、特に「クルトゥウル」とドイツ風に云ひ、自国の「キュルチュウル」と区別してゐる。その筆法で行くと、日本の「文化」も、恐らくそのうちに「Bounkwa」と呼ばれ、この一語がフランス語の辞書のなかに加へられるかも知れぬが、いつたいまあさういふものなのだと思ふ。
 世界共通の「文化」といふやうなことを空想しても、それはたゞ、人類のすべてに通じ合ふといふほどの意味しかないのであつて、民族の優秀性は、その文化の高さをはかる尺度によつて違ひ、日本は日本の尺度を用ひて少しも差支へないのであるけれども、その尺度に狂ひがあるのはよろしくない。今や、その尺度を多少狂つたまゝ使つてゐる向きが多く、国内的には民衆を迷はせ、外に向つては日本を誤り伝へることになるおそれがある。「心を鬼にする」といふ言葉が、日本文化と関係があると云へばすこし無理なやうでもあるが、私の云はうとするところは、現代日本の一番大きな危機は、すべての現象に於て、象徴の本来の意味が忘れられてゐるといふことだ。比喩を「文字通りに」取らせやうとする不気味さを私は国内における百般の出来事のうちに感じるのである。このグロテスクな風俗は、ひとつの「文化」には違ひないけれども、よろしく戦争によつて破壊すべき文化だと思ふがどうであらう。
 上これを行へば下これにならふつもりかどうか、ヂャアナリズムの大部分は、この調子を真似て、もつて戦時色とするのであるから、徒らに安価な流行語をふやすのみで「戦争万歳」と云はぬばかりの軽薄さが全紙に漲り、日本の真の表情は世界の玄関に伝はらないのである。他の民族をして日本怖るべしと感じさせるのは、決してわれわれが好戦的であることではない。たゞ戦に強ければいゝのだ。強い理由が明かなことで十分なのである。わが国民の比類なき象徴への愛を心なく汚さないやうにしたいものである。

     夜行軍

 この部落でも、桂班長は、例によつて住民を集めた。非常に集りがわるい。逃げたものが多いせいもあらうし、殊に、敵軍の本拠であつたゞけ、わが意を迎へるのに頑なところがあるのでもあらうか?
 演説に対する反応も極めて冷やかなやうに思はれた。桂氏もそれを感じて、
「こゝの住民は性がよくない」と憤慨の面もちで、その旨を小川部隊長に報告してゐた。
「よし、そんなら、わたしがやつてみてやらう」
 と、部隊長は自ら群集の前に立つた。
 たつた今、あの凄じい勢ひで中国軍を蹴ちらした日軍の総大将は、そこへ姿を現はしたゞけで十分の睨みが利くわけであるが、そのうへ、噛んで含めるやうな平易な話し方で、日本軍がなんのために此処へ来たかを説明し、再び支那軍を寄せつけないために、附近の橋をみんな毀して行くから、いかにも不自由であらうが、当分の間、勝手にその橋を修復してはならぬと説ききかせ、最後に、この部落からは大分逃げたものがゐるやうだが、いつたい、どうしてお前たち兵隊でないものまでが逃げるのか、と問ひを発した。すると、群集の一人が答へた。
「これまでわれわれは、日本軍が攻めて来たら住民はみんな殺されると聞いてゐた。しかし、近頃、楊州から来たものゝ話に、決してそんなことはない、楊州にゐる日本の兵隊は実に立派な兵隊で、中国の良民に対してはどこまでも親切だとのことで、自分は安心してゐた。さういふことを知らないものがみんな先を争つて逃げたのだ」
 時にこの答へはどういふ風にでもとれるが、それを云ふ当人がわりに朴訥な印象を与へたゝめに、小川部隊長は「うん、さうか」と大きく肯首き、部下をほめられた隊長の満悦をかくしきれぬ様子であつた。
 昼食の支度ができ、われわれはまたアンペラの上に坐つて炊きたての飯を頬張つた。茹で卵などもできてゐて、なかなかの機敏さである。
 私はかうしてゐる間にも、支那軍がなぜ逆襲をして来ないのか不思議に思はれた。もちろんこつちにも備へはあり、部落の外側は警戒を厳にしてあるのだが、軍隊の士気といふものはまた格別で、ほんたうに旗を捲いて逃げたら、さう易々と出直して来られるものではないのであらう。
 さつきから、桂班長がぷりぷり怒つてゐる。
「じつにうるさい婆だ。あの捕虜の一人を自分の孫だから助けてくれと云ふのですが、そらその婆ですよ、またなにか愚図々々云ひに来た」
 なるほど、一人の老婆が、入口に跪いて、手を合はせて拝みながら、しきりになにやら訴へてゐる。親が出て来たら赦すといふ掟はないのだから、この応対は誰にだつて満足にできる筈がない。流石の桂氏もこの婆さんを黙らせるか、自分で耳を塞ぐかするより手はないと見える。ところで、班長に手ごたへなしと見てか、婆さんは今度は、そのへんにゐる誰彼れを問はず、そつちへ顔を向けたものをつかまへて、泣訴哀願しはじめた。あまりよく喋るので、私
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