部分支那人で、わづか四五名の日本人が軽装で大きな郵便物の袋を提げて乗込んでゐた。
引率者たる主計○尉が、話をしてみると、やはり○○警備隊へ帰るのだといふ。ところで、こゝでもまた、それらの兵士の一人から、私は「先生」と呼びかけられ、それが明大文芸科で教へた生徒であつたのは意外でもあり、うれしくもあつた。かういふ時の道づれは有りがたいものだ。匪賊討伐の話、楊州の街の様子、米国教会の日曜学校で反日宣伝をした事実など聴く。
船は四十分で対岸に着く。こゝから楊州行のバスが出る。一台きりのバスといふのが、世にも憐れなしろもので、ほんとに動き出すのかと気が気でないほどであつた。しかも、船から降りた客がみんな一度に来るのだから、たちまち超満員で、窓の外へぶらさがるもの、エンヂンの蓋の上へ腰かけるものなどがあり、それでも兵士たちは起ちあがつて老人に席を譲るといふ床しさをみせてゐた。
沿道の耕地は洪水のため殆ど水浸しであつた。盥に乗つて稲の穂を刈つてゐる農民の姿がみえる。なるほど、楊州の名はこゝから来たのかと思はれるほど、楊柳が多い。そして、今までにみた中支のどの部分とも違つてゐることは、普通の恰好をした住民が、道の上を往つたり来たりしてゐることである。水害を免れたらしい田畑には、若い女たちの野良姿も目につき、川べりで子供を遊ばせながら、煙管を啣へた老人がわれわれのバスを見送つてゐる。
城外に近づくと、そのあたり一帯は墓地の連続である。楊州の墓参風景は支那名物のひとつだと聞いてゐたが、なるほどこの土地の広がりを、群集と花と線香の煙が埋めたとしたら、それは一種の奇観に相違ない。
城門を潜ると、支那人はみんなおろされた。衛兵の取調べを受けることになつてゐるのである。
バスは警備隊本部の前までわれわれを運んでくれる。城門からこゝへ来るまでの広い通りは、近年新しく広げられた道で、楊州唯一の自動車道路ださうである。両側には店舗は殆どなく、学校、兵営、官舎、その他、医者の看板など出した住宅風の建物が並んでゐる。
警備隊本部は、旧旅団長官舎だといふことだが、小ぢんまりした洋風のヴィラで、前庭に面したホールへ私は先づ通された。
部隊長は今会議中だからしばらく待つようにとのこと、本部附の兵士たちが、眼の前でさつきの袋を開け、郵便物を撰り分ける表情の面白さを飽かず眺めてゐた。
副官が「どうぞこちらへ」と私を二階の一室に案内した。
部隊長小川伊佐雄氏は、私がはるばるこの土地へ来たことを心から悦んでくれた。新聞記者も慰問団もなにも来たことはないといふ話であつた。
こゝばかりではない、さういふところも随分あるであらう。しかし、私は運が好かつたのである。誰でもかううまく此処へ辿りつけるわけではない。
「鎮江から河を渡つて来るといふことは、よほど臆劫なことゝみえますな」
「それはさうかも知れませんね。詳しく様子を聞いたうへでなければ、ちよつと決心がつきますまい」
「いや、揚子江の北はまだ危いといふことになつてゐますから……」
「匪賊は相当にをりませうな」
「何れ詳しくお話をします。が今も実は、部下を集めて会議をしてゐたんですが、近々、やゝ大仕掛けな討伐をやらうと思つてゐます。情報も可なりあがつてゐますし、もういい時分だと思ひますから……」
部隊長は隣室に集つてゐる部下の将校たちをこの席へ呼び寄せ、私に紹介した。
討伐の計画は極秘のうちに進められるに拘はらず、何時の間にか敵に知れてしまふらしい。スパイ網がかくの如く張られてゐるとは想像もつかないくらゐである。もちろん、その裏をかく手も考へられてゐるし、敵に十分の用意をさせて、一挙に殲滅的効果をあげることもある。
一人の将校は急に起ち上つて部隊長と私とを等分に見比べながら云つた。
「先日の討伐で戦死しました○○のことを、ひとつ文芸部の方に書いていたゞきたいのでありますが……」
これらの将校たちは、何れも楊州からほど遠い敵前の部落に駐屯して、守備の任務についてゐるのであつて、小数の部下と共に、有力な敵を制圧し、住民を手なづけ、情報を蒐集し、農村に於ける自治体の速かな結成を促す重大な力となつてゐるのである。
三輪○尉の部屋が明いてゐるので、私は、その夜、本部に泊めてもらふことにした。
すると翌日、小川部隊長は私に匪賊討伐を実際に見たければ見せてやるがと云ふ。それは、今夜十二時に出発して、東北方約二十キロの喬野といふところにある敵の陣地を襲ふのだ。本部と一緒にゐればまづ危険はないと思ふし、馬の用意もさせておくからと、ごく気軽に勧められて、私は、是非行きたいと答へた。
そのうちに××の桂班長も打合せに来た。
この前の討伐にやはりついて行つて、部隊長と一緒に弾丸のなかを潜つた話などして聴かせる。
「宣
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