た同期生山崎のことを思ひだす。宿で調べてもらつたが、どうしても居所がわからない。部隊長の居所がどうしてわからないのかと思ひ、自分で心当りを探すことにした。
 ところが、部隊本部へ行つたらすぐにわかつた。人力を走らせてゐると、偶然、向ふから来る自動車に大宅壮一君が乗つてゐて、訪ねるところがあるなら送つて行つてやらうと云つてくれる。親切をありがたく受けた。
 部隊本部で、山崎の迎ひが来るまで、幕僚の三国氏に会つて、いろいろ警備に関する話を聴く。八月二十三日から十月十日まで、同隊の行なつた戦闘回数百五十九回、敵の損害は遺棄死体だけで一八七四、捕虜二八九、わが方の損害、戦死五九(内将校二)、負傷八四といふことであつた。なほ、南京蕪湖地区だけで、既に帰順兵千二百を出し、その他に於ても討伐の効果は着々あがつてゐるとのことである。敵の配備はこゝに詳しく書くことは許されぬが、大体、蕪湖南側に一万、※[#「さんずい+栗」、第4水準2−79−2]陽の周囲に一万、何れも正規軍である。所謂匪賊道と称する彼等の専用道路があつて、その移動は、昼休夜行の原則を守り、中央の指令によつて道路橋梁の破壊、わが軍の後方攪乱を企図してゐる。避難民の復帰状態は大体良好であるが、九月二十日頃より、青年男女の数が著しく増したやうである。民衆の向背はこれによつて略ぼ判断の基準を与へられる。皇軍の軍紀粛正であるといふことが何よりも彼等の信頼を増し、ある地区の守備隊長が交迭した際の如き、村民が泣いて別れを惜しんだといふ例もある。道路愛護の運動も金壇・※[#「さんずい+栗」、第4水準2−79−2]陽間には既にその組織もでき、治安上大なる効果を挙げつゝある。敵は橋梁などを破壊する毎に必ず宣伝ビラを撒いて行く。こつちは、新しい占領地に野菜の種を蒔く。部隊の自給自足は今から心掛けねばならぬからである。
 三国氏のこの話は、私にとつて非常な参考になつた。いろいろ土地の名前も出たが、何処がよからうといふ相談はわざとしなかつた。
 そのうちに、山崎が、自分で用事の序があつたからと云ふので出掛けて来た。今日おろしたばかりの新しい車で、彼は私をその部隊の兵舎に連れて行つてくれた。支那軍の兵営をそのまゝ使つてゐるのだから、すべてが平時の落ちつきを保つてゐる。部隊長室でしばらく話をしてゐると、この隣りが有名な軍官学校で、その跡へやはり同期の大熊が部隊長で頑張つてゐるといふ話なので、早速二人で訪ねて行つてみると、暫く見ぬ大熊は、これがと思ふほど変つてゐて、お互に年月の距りを痛感した。
「これが蒋介石のゐた部屋だぜ」
 と、山崎が私に説明すると、
「いや、どうも宋美齢の方らしいんだ」
 謹厳な大熊はさう云つて笑つた。
 こゝで、私は二人の話を交々聴き、それぞれの部下が駐屯してゐる小警備地区の状況を詳しく知ることができた。そして、是非とも楊州に行かうと決心したのである。
 その晩は山崎部隊長の宿舎で夕食のご馳走になり、長々と昔話をし、最近留守宅から届いたといふ甘味の数々を私も遠慮なく味はつた。

 翌朝、九時四十五分、南京発上海行の急行に乗る。
 一昨日宿でちよつと話をした三田文学派遣の従軍記者池田みち子女史が、誰かを送つて来た序に私も送つてくれる。私が楊州といふところへ行くのだといふと、自分も行つてみたいと云ふ。あとからおいでなさい、道はかうかうと教へておいたが、妙齢の女性の一人旅は無理にきまつてゐる。
 向ひ側の席についた一青年将校は、私たちの話を耳に挟んだものと見え、
「楊州へ行かれますか。自分は○○地区警備隊のものであります。本部勤めで連絡のためこれから上海へ参りますが、二三日中に帰ります。何れあちらでお目にかゝります」
 名刺には陸軍歩兵○尉三輪光広とある。そして、奇縁と云はうか、この将校の連れてゐる当番が、自ら名乗るところによると、私は不幸にしてまだお目にかゝつたことはないが、同業渋川君の令弟にあたる、山崎重久といふインテリらしい青年であつた。
 鎮江へ着いたのが十一時、こゝで私は汽車を降りねばならぬ。揚子江の対岸の六※[#「土へん+于」、第4水準2−4−61]へ渡るために、これから碇泊場へ行くのだが、駅の改札口を出ると、私はしばらく茫然と立ちすくんだ。自動車の影は一台もみえず、碇泊場までは一里近くあるといふ。荷物さへなければ歩くこともできるがと、そのへんを見廻してゐると、兵站の腕章をつけた一将校が運よく通りかゝつた。
 私はこゝで兵站部の厄介になつた。昼食をすまし、荷物の一部を預け、車で碇泊場へ送つてもらふ。宮崎勇治氏の好意ある計ひであつた。
 埠頭には、もう××汽船の旗が樹つてをり、その連絡船がいま出ようとしてゐるところであつた。

     警備隊本部

 小蒸汽は船員も支那人、乗客も大
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