いふのであらう。かゝる施設が外国人の手によつてなされてゐるといふ事実は、日本内地でさへその例が多々あるのであつて、今更驚くべきことでもないが、それよりも寧ろ、彼等の、この支那大陸に於けるひとつの「生き方」について、私は日本人全体の注意を喚起したいと思ふ。
 女学校は、その建物と云ひ、庭園と云ひ、まことに西洋的な生活の快適さを示すものであり、文化人の趣味と実力を誇るが如く瀟洒たる一廓を形づくつてゐる。中年の女教師が二人われわれを導いて校舎と住宅を見せてくれる。生徒の姿がちらちら廊下や教室の戸口に現はれるが、すぐに引つ込んでしまふ。先生の一人は、庭の小径を歩きながら、私に云ふ。
「生徒は日本軍がこの土地へはひつて来て以来、しばらくは怖がつて落ちつきがありませんでしたが、近頃では大分慣れて来た様子です」
「父兄はみな九江にゐるのか」
 といふ私の問ひに、
「みなではない。なかには、子供をおいて漢口へ行つたものもある」
 と答へた。それから、庭の一隅の竹藪が空へ伸びて、支那寺院の塔の遠望と面白い調和を見せてゐるのを指さし、
「こゝへわざわざ竹を植ゑさせてみたのですが、どうでせう?」
 アメリカ・インテリ婦人の典型をそこに見出して私は思はず微笑した。
「なかなか結構な思ひつきです」
 その先生は、事変がおさまつたら、一度日本へ行つてみたいとも云つた。
 産科の病院は、ドクトルが留守で、細君が応接間へわれわれを通した。賀川豊彦氏の著書などが卓子の上に出してあつた。
 病室は殆ど空いてゐた。支那人の看護婦が治療室の隅にかたまつて、ひそひそ話をしてゐた。いくつかの医局の扉に、ローマ字で支那人の名前を書いた札が貼つてある。支那人の医者が主任をしてゐるのかと思つたら、それはみなそれぞれの医局を寄附した支那人の名前であることがわかつた。医局を寄附するといふのはちよつと私には耳新しい方法で、さういふ慈善家を支那に作りだしたのは、たしかにアメリカ式文化宣伝の結果に違ひないのである。
 男の宣教師が一人そこへ訪ねて来て、「奥さん、ちよつと」と夫人を戸の外へ呼び出した。フロックコートを着て前屈みに歩くところ、不確な視線で揉み手をする恰好など、職業的なある型にはまつてゐた。これが、先日名前を聞いた親日米人であつた。
 甘棠湖に沿つた小高い丘は、紀念堂林園といふ公園になつてゐる。丘の頂上に、国民革命軍第五師陣亡将士紀念塔といふのが建つてをり、そこからは九江の街が広く見渡せる。植ゑて間もない樹が、何れも馬を繋ぐために背丈ほどのところで切られてゐる。かういふところばかり見て廻つてゐると、なにも見ないのとおなじになるといふ気がして来た。
 宿舎のヴェランダから暮れて行く南方の空を眺めてゐると、廬山の峰々を掠めて、絶え間なく飛行機が去来する。なかには、頭のすぐ上を低く飛んで行くのもある。水面で魚をねらつてゐた鳶の群が悠々とその後へ舞ひあがつて、ひとくさり空中戦の真似を演じる。
 瑞昌南方の山岳地帯で、わが○○部隊が敵の包囲を受け、弾薬糧食を空中から投下してゐるのだといふ噂が伝はつて来る。
 私の胸はしめつけられるやうだつた。その晩は、いつまでも眠つかれなかつた。

     楊州へ

 十月十七日、私は連絡機の便を得て、南京へ飛んだ。
 こゝで私はいゝ通訳をみつけて小学校の先生たちと少し話をしてみたいと思つたが、××××は丁度忙しい最中で、その係りの人にも会ふことができず、私は諦めて地図を頼りに街をぶらぶら歩きまはつた。しばらくの間に南京も目立つて賑やかになつたやうだ。大通りの真ん中で、支那の女同志がつかみ合ひの喧嘩をし、一人の男がその中へ割つてはひつて一方をなだめすかしてゐる光景さへ目撃することができた。もちろん人だかりがしてゐる。なかには薄笑ひを浮べて、またはじまつたといふやうな顔をしてゐるものもある。私はそれでたいがい見当がついた。実直さうな四十男が、その女房に違ひない頬つぺたから血をたらしてゐる若くも美しくもない女の手をぐいぐいと引つ張る。女は地団太を踏んで応じない。大声で泣き喚く。片手を捲きつけた道傍の並木の枝がばさばさと揺れた。
 この戦争はどうならうとかまはないだけに見てゐて気が楽だ。しかし、こんなところで暇をつぶすのは勿体ないから、いゝ加減に切り上げよう。
 光華門のそばに日本人経営の相当な支那料理屋があるといふので昼食をしに行つてみる。
 サーヴィス・ガールは十六、七の支那姑娘だが、いくたりも側へ寄つて来て勝手に卓子の上の南京豆を噛り、日本の流行歌を得意げに口吟むので聊か興を殺がれた。料理も評判ほどでなく、第一材料も乏しいとみえて、献立が貧弱であつた。南京ではまだ支那人の生活が形を成してゐないといふ感じがした。

 この前訪ねようとしてつい暇がなかつ
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