ならぬ。
そこで私は、現在の日本の力といふものを考へる。楽観とか悲観とかいふことは、もはや問題ではない。ありつたけの力を出しきることゝ、その力の測定を誤らないことゝ、それが最も能率的に使用されるといふことが肝腎である。
ところが、この日本人の力であるが、われわれ国民は、個々の力を自発的にこの事変の面に押し出す方法についてまだはつきりした道を示されてゐないやうである。政府当局は国民の総力を動員すると云つてゐるけれども、物質的な面ではその計画の全貌がほゞ伝へられ、国民一般の決意もこれを中心としてゆるぎなきものとなつてゐるやうであるが、精神的な面では、単に非常時の緊張と愛国心の昂揚といふやうな必然的な現象がみられるだけで、たまたま思想とか文化とかいふ問題がとりあげられても、それは天下り式なお題目に過ぎず、国を挙げての研究実践といふ方向をとつてゐるやうにはみえない。
例へば、対支文化工作の基礎は如何なる知的部門によつて統一され、立案されてゐるのか? そしてまた、その事業の各分野は、如何なる専門的頭脳によつて指導されてゐるのか? 国民知識層一般の与り知らないところに、国と国との精神的接触が行はれてゐるといふ奇怪な事実があつてよいか? 現在のところ、武力を含んでの政治が総てを支配してゐることは当然であるけれども、この事変の特殊な性質からみて、政治が総てを解決するのではないといふ見透しが、政治家自身の口吻のなかにもみえてゐるくらゐである。政治以外の国民の力とは何か? 一口に云へば、為にするところなき日本人の真の姿を支那民衆の心に植ゑつけ、その信頼すべき「人間性」と、彼等と共通の理想を目ざして生きるものゝある実証を示すことである。更にこれを具体的に言ひ換へれば、科学、文学、芸術等の面を通じて、偏見なく支那民衆に働きかけるといふ以外に、支那に渡つていろいろ仕事をする日本人の或るものが、無意識に且つ不用意に日本人の逆宣伝をしつゝあることを厳に警戒すべきである。
このことは、既に以前からみんなが知つてゐてどうにもならなかつたのださうであるが、そのどうにもならないといふところに、私は日本人の力の最も頼りない一面を感じるのである。
民族的な長所美点は、その民族特有の生活と歴史に結びついてゐるものだから、他の民族にこれをその値打相当に評価させることはなかなか困難な場合が多い。
英国人もドイツ人もフランス人も、それぞれその国の人間らしい特色に於て魅力的な存在であるが、実際はさうである場合もあり、また反対に、それがために、他国人から若干の軽侮と反感を買つてゐる場合もあることは周知の事実である。
現代日本人の庶民的風格といふものなどは実に愛すべく親しむべきものであるに拘はらず、欧羅巴や支那のやうな老大国では、その階級に相応しいエチケットがあつて、どうも具合のわるいことが多いといふ話も聞く。
また、一例をあげれば、日本人は外国の旅行先で必ず商売女を漁るといふ風評がある。ほかの国のものはこんなことをたまにしかせぬやうな怪しからん誹謗であると思ふが、私の観察によると、巴里でも上海でも、なるほど、盛り場などで日本人とみると必ず変な女がたかつて来るやうだ。巴里でなら、外国人として目立つからといふ理由もあらうが、上海では、それと反対に、白色の異人の方が彼女らの注意を惹きさうなものである。
私は、これには二つの見方があると思ふ。第一は日本人はたしかにさういふ女に対する興味のもち方がほかの国の男たちと違ふ。事務的であるよりも好奇的である。必要からよりも、話の種にしようといふやうなところがあり、時には、それが旅の風流でさへもある。だから、取引に於て金ばなれがよく、その上わりに大つぴらである。速決主義でない。にやりにやりしながらあれこれと物色してゐるやうに見える。自然、女たちが集り、また日本人がといふ風に廻りのものが注意するのである。第二には、日本人は照れ屋である。公衆の面前でさういふ女に話しかけられることに慣れてゐないから、覚悟はしてゐても、大いに照れる。余計な豪傑笑ひなどをする。照れかくしにぎごちない応酬をする。好い加減にあしらふつもりでも、そつちへ気をとられてゐると人の足を踏む。肩から写真機をぶらさげてゐるから、ひと目で日本人だとわかるのである。
かくして、日本人はさういふ場所で自分を目立たせる結果になつた。わが同胞のためにいさゝか弁ずること以上の如くであるが、私は、この話から、日本人は実にわからせにくい国民だといふ気がしてならぬ。よきにつけあしきにつけ、日本人のやることは、どういふものか素直に受け取られない傾きがある。欧米人はもとより、支那人でもちよつとひやかしたくなるやうなところがあるらしい。兵隊が強いことだけはひやかさうにもひやかせまいが、その埋め
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