、ある一つの醜い影を見ることを恐れてゐる。この影を消しおほせた時に、自分の作家としての仕事は完成するのだと思つてゐる。
私は、未だ嘗て、どういふ意味に於いても、英雄を、非凡な人物を描かうといふ慾望を起したことはない。
私は、「目の届かない」ことを恥ぢる。凡人は――誰か自分を凡人に非ずと云ひ得よう――凡人を識るだけが関の山である。
私は英雄の英雄たる半面に興味はない如く、その凡庸な半面にも興味はない。凡人の凡庸な全面にのみ興味をつないでゐる。それは自分の姿であるからばかりではない。そこに全き一人の人間がゐるからだ。見えるからだ。
私は、自分の理想とする人物を考へたことはない。それは危険なことだ。「かくあらねばならぬ人物」を、今の世に「存在させる」ことは不可能である。
私はまた「人間的価値」といふものにも疑ひをもつてゐる。そんな絶対的なものはあり得ないではないか。故に、自分の「価値づけ」が他人に興味があらうとは思はない。
凡人とは、所謂「質」に関係のある呼び方ではなく、「量」に関係のある呼び方である。
遠いものを近くし、重いものを軽くし、深いものを浅くするところに文化
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