の歩みがある。
濃いものを淡くし、太いものを細くするなど、これは文化の戯れだ。
その証拠に……その証拠はいくらでもある。
なぜこんなことを云ふかといふと、私は、深いものを深く見せる文学なら兎も角、浅いものまで深さうに見せる文学に感心しないからである。
深いものを浅く見せる文学、これは、ざらにあるわけはない。
深くして濁れるより、浅くして澄みたる方、私の好みからいへば有りがたい。
おれもその方が有りがたいなんて、誰でも云ひさうだ――いやさうでもあるまい。
私は、これで、自分を語ることを当分見合せよう。(一九二七・一二)
底本:「岸田國士全集20」岩波書店
1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
1936(昭和11)年11月15日発行
初出:「文芸春秋 第六年第一号」
1928(昭和3)年1月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年11月25日作成
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