は、これは分析もできるし、合理化することもできる世界ではないかと思ひます。もつとも、そこには倫理の理解といふものがあります。さういふものを含めてのヒユーマニズムといふ問題を取り上げれば、確かに宗教心まで行くべきものでありませう。但し、ヒユーマニズムと云へば、これは科学の対象となり得るかたちで宗教に結び付いたものとして、今まで規定されたのですが、宗教に一歩踏み込んだヒユーマニズムといふものは、恐らく、やはり「敬虔」といふ一つの世界だつたのです。そこで、宗教か、ヒユーマニズムかの境界がはつきりしてゐないやうに思はれるのです。
風潮・その他について
次にこの頃の風潮について少々感想を申しますと、私はかういふことをふだん考へてをります。例へばある事柄を奨励する目的のもとに、一人の模範的な国民――感心な人間、または感心なことをした人間がお手本として示される。ところが、さういふ人物をよくよく吟味してみると、必ずしも人間として格別感心すべき人物ではなく、その行為も常識から云つて極く当り前のものに過ぎず、いかにもたゞ、一つの奨励事項の傀儡としか受け取れないといふやうなことがよくある。し
前へ
次へ
全11ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング