へんも相当デリケートなところであるかも知れません。
科学と宗教について
近代の科学心といふものが一種の反宗教的なものとして動いて来た事実はこれを認めなければなりません。また、さういふことが確かに西洋でも十九世紀の頃に再批判されてをります。一つの信仰といふものと、科学といふものとの関係に就ていろいろ考へたりした人もある。今日になつて、既に十九世紀に西洋で議論済みの科学宗教論といふやうなものを蒸返すことは要るまいと思ひますが、指導精神をハツキリさせるためには、見極めて置くべき問題です。
現在、新体制といふものは、つまり、合理と非合理との世界観を一致させるところにあるなぞといふやうなことを云つてゐる人があります。合理と非合理なるものが果して反対を意味するかどうかは別として、何か別の言葉で云へば、これは科学的信仰説と云つてもよいのではないかと思ひます。さういふ点で、一つ紛糾を起さぬやうにハツキリした途をつけたいものです。
さきほど申した宗教的な敬虔な気持といふものは、宗教でなくても、ヒユーマニズムといふやうな考へ方からでも出て来るわけでせうが、たゞ、ヒユーマニズムといふもの
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