情には、われわれが生きて行くこの人生の生活のなかで、何かしら敬虔な気持が非常に足りなくはないかと考へられます。例へば学問に対する場合でも、或ひは芸術に対する場合でも、一応それを尊敬するし、それに情熱を傾けもするのですが、それに対する敬虔な気持といふか、自分がそのなかで安心立命を得るといふやうな気持が現在の日本人には欠けてゐるやうに思はれるのです。この気持をつくるのは、果して宗教家の宗教の力に依るのか、或ひは教育事業の中に盛らるべき、もつと別な力に依るものか、さういふことを私は知りたいと思ふ。
 日本人には自分の国を離れて生きて行ける安心といふものが足らないのであつて、その安心をキリスト教は欧米人に与へてゐるのだといふ風にも見られますが、どうかするとさういふことを日本人の弱味だとはせず、却つて強味であるかのやうな考へ万が一方には相当強いやうでもあります。そのやうな点でも我が国の宗教教育の発達が一つの矛盾にぶつつかるのでせうか。また、自分の国を離れてよそに安住できるのがキリスト教の強味であると解釈するよりも、寧ろ日本の国家にとつてはそれが反国家的なものと考へられ易いといふこともあつて、その
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