か。
日本に宗教改革といふものがなかつたといふのは、我が国では比較的早くから政治の上で政教の分離といふ形が行はれてゐたからでせう。だから宗教が対社会的に害毒を流すやうなことが割に少なかつた。そのため改革の気運といふものがいつもズルズルに延びてゐるといふ点もあるかも知れません。さういふ意味での新しい宗教理論といふやうなものは日本ではどういふ風にあらはれて来るものでせうか。
キリスト教は今日相当強く、一種の文化的使命を植民地あたりでも果してゐると思ひますが、日本の仏教のお坊さんとか、神道の神主とかいふ人たちは、さういふことを今までちつともやつてゐない。これは信仰のあるなしといふことよりも、人間的に宗教的感情といふものをもつてゐるかゐないかの違ひではないかと思はれます。キリスト教の宣教師の仕事を見たり、本で読んだりしてみると、何か日本の宗教家がもつてゐないものをもつてゐる。兎に角、宗教家として何か信仰の質が違ふ。殊に今度のやうな事変が起ると痛切に感じるのですが、今後の宗教教育にしても――或は一般教育にそれは依るべきかも知れませんが――この点はよほど考ふべきことで、どうも今の日本の宗教的感
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