は、これは分析もできるし、合理化することもできる世界ではないかと思ひます。もつとも、そこには倫理の理解といふものがあります。さういふものを含めてのヒユーマニズムといふ問題を取り上げれば、確かに宗教心まで行くべきものでありませう。但し、ヒユーマニズムと云へば、これは科学の対象となり得るかたちで宗教に結び付いたものとして、今まで規定されたのですが、宗教に一歩踏み込んだヒユーマニズムといふものは、恐らく、やはり「敬虔」といふ一つの世界だつたのです。そこで、宗教か、ヒユーマニズムかの境界がはつきりしてゐないやうに思はれるのです。

     風潮・その他について

 次にこの頃の風潮について少々感想を申しますと、私はかういふことをふだん考へてをります。例へばある事柄を奨励する目的のもとに、一人の模範的な国民――感心な人間、または感心なことをした人間がお手本として示される。ところが、さういふ人物をよくよく吟味してみると、必ずしも人間として格別感心すべき人物ではなく、その行為も常識から云つて極く当り前のものに過ぎず、いかにもたゞ、一つの奨励事項の傀儡としか受け取れないといふやうなことがよくある。しかし世間ではやはりかういふ「お手本」を鵜呑みにして、内心はともかく、表面だけはそのお手本のやうに取りつくつて、大きな顔をするといふ傾向があるやうです。これが昂じて新体制でありさへすれば、人間でなくともよいといふことになつては大変だと私は感ずるわけです。これを少し突つ込んで皆さんに考へて戴きたい。一体に、どういふ人間を作るか、それには根本をどうしたらよいかといふことに就て、われわれは最も深く考へなければならぬ筈ですが、案外、浅いところで止まつてゐるのではありますまいか。
 そこで、教育といふ問題に土台を置くとすれば、国民としての自己完成といふことを第一に掲げるにしても、どうしてもこゝに一つ人間的反省を基礎とした国民的自己完成といふ風にハツキリそれを出さないといけない気がする。国民は人間に違ひないのですが、更に「人間的反省に基く」といふことをこゝで強調しなければならぬやうに思ひます。
 たゞいまは国防国家に必要な国民を作るといふ方向にすべてがなつてゐる。それに対して各専門部門の者は勿論こぞつて協力しなければなりませんが、そればかりを追つてゐると、今云つたやうな隙間がだんだん広くなつて行きさ
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